映画化を進めていく上で大きな暗礁に乗り上げることになったのは、2016年に相模原の障がい者施設で起きた連続殺傷事件だった。ナチスドイツの優生思想に感化された植松聖容疑者の短絡的な犯行とはまったく異なるとはいえ、映画の中の斯波の描き方はより慎重を期することになった。
前田「松山さんが演じる斯波が、サイコパスなシリアルキラーに見えないようにキャラクター像や台詞は細かい部分まで入念に修正しています。原作の斯波はもっとカリスマ性を感じさせるキャラクターでしたが、映画では自分たちと変わらない地続きの人間にしています。斯波の父親は柄本明さんに演じてもらっていますが、どうしても柄本さんに出てほしく、手紙を書いてお願いしました。また、原作では聖書の黄金律が重要なモチーフになっていますが、映画ではもうひとつ『ハチドリのひとしずく』(光文社)も取り上げています。南米の民話をベースにした絵本で、一羽のハチドリが山火事を鎮めようとひとしずくの水滴を何度も運ぶという内容で、斯波の行動原理と通底するお話なんです」
南米の先住民が語り継いできた『ハチドリのひとしずく』では、一羽のハチドリが「私は、私にできることをしているだけ」と語る。映画『ロストケア』の裏テーマと言えそうだ。
映画『ロストケア』の大きな見どころは、高齢者連続殺人の容疑者・斯波と検事・大友との一対一での対決シーンだ。長澤まさみは同世代の元女性検事を事前にリモート取材し、普段の生活から取り調べ中の感情の動きなどを細かく聞き出し、役づくりに生かしている。
【こちらの記事も読まれています】