こういう設定が『おんな城主 直虎』にも出てきていたら面白かったのに……と残念なのですが、しかしお田鶴の方と侍女たちが、いくら勇ましく男装の姿で戦おうとしたところで、城を家康軍に取り囲まれた上での持久戦ともなれば、女性に有利な騎馬戦法を取ることもできず、なかなか厳しかったのではないでしょうか。
地域に伝わる伝承によると、お田鶴の方には「椿姫」という異名があるそうです。最後まで家康への城の明け渡しを拒絶し、壮絶な戦死を遂げたお田鶴の方と18人の侍女たち戦死者を土葬した塚に、彼女の親戚にあたる築山殿が鎮魂の思いを込め、椿を植えてやったからその名が付いたといいます。この逸話も、後世に創作されたものにすぎないかもしれませんが、ドラマでも登場するのかどうか注目です。
ちなみに戦後、家康に平定された曳馬城は、拡張工事を受け、浜松城として生まれ変わることになりました。一説に、「曳馬」という名前が「戦に負け、疲れきってもう走れなくなった馬を引いてトボトボ帰る姿を想起させる」という理由から改名されることになってしまったそうです。