男装の女武者は、戦国時代以前から存在していたようです。平安時代末期の加賀国の『国務雑事注進』という史料には「女騎」という語が見られます。これは女性の騎馬武者のことを指し、さらにこの書物とほぼ同時期に成立したと考えられる『梁塵秘抄』にも「近江女、女冠者(おうみめ、おんなかじゃ)」というフレーズが出てきます。「長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞ無き」と続いていくため、これはメンズファッションを愛好した女性たちの話ではなく、さまざまな層の女性たちが世の中の乱れに乗じ、武装しつつあった現実を伝えているのだと思われます。ちなみに「冠者」とは、元服以前の若い男性を指します。

 戦国時代でも、戦における先鋒を務めることが多い騎馬隊には、多くの男装した女武者が紛れ込んでいたと考えられます。というのも、当時の日本の馬は、ドラマに出てくるサラブレッドのように大型ではなく、かなり小型でした。当時の馬は、現代のサラブレッドよりもスタミナを誇っていたとみられるものの、それでも重い甲冑をまとった成人男性を乗せて全速力で走れる時間はわずか10分程度だったという検証データもあります。つまり、先鋒隊として敵の歩兵を迎え撃ち、彼らを蹴散らして本陣に帰参する……という任務が多かった騎馬隊には、体重が成人男性よりも軽いという理由で、女武者あるいは少年兵のほうが向いていたと考えられるのです。主に若い女性たちが、年下の少年たちを率いて戦ったのではないかと筆者には想像されます。