――打ち込みはいつからやられていたんですか?

馬渡:当時はプリンス、特に『バットマン』(1989年)、ミクスチャーロックバンドのフィッシュボーンなど、白人と黒人の音楽が混ざったものが好きだったので、そういうバンドをやりたかったんです。でも、なかなか形にしづらく、だったら自分でやろうと思ったのがきっかけでした。バイト代で手に入れたローランド「S-50」(銀盤ー体型サンプラー)を外部ディスプレイにつなげて数値を入力しながら音色を設定していましたね。

 それにローランド「MC-500」(シーケンサー)も同期させて。そして「TASCAM 246」(カセットMTR)に打ち込み、KORG「DW-8000」などのシンセサイザーを重ねた録音を繰り返しながらデモテープを作っていたんです。「S-50」と「MC-500」を同期させていた人は多くなかったと思いますよ。ちなみに私の打ち込みは楽曲「逢いたし学なりがたし」や「バースデイがのしかかる」で、そのまま使っています。あの頃の部屋はケーブルが散らかって、ぐしゃぐしゃでした。

――生演奏っぽいニュアンスを出すためにリズムのクオンタイズ(アジャスト機能)を調整していたそうですね。

馬渡:「S-50」はリズムの分解能の数値が低いので、シャッフルさせる(リズムを跳ねさせる)にしてもバウンスの幅の調整がしづらかったんですよ。どうしてもノリがスクエアになってしまう(均等すぎる)ので、キックやスネアなど楽器ごとにクオンタイズの数値を変えたり、ストリングスならリズムに対して前に配置して、生っぽいグルーヴを出すように心掛けていました。

 ドリカムの中村正人さんに6万円で譲ってもらったATARIを使うようになってからも、クオンタイズの調整は変わらずやってました。中村さんも「MC-500」で打ち込みをしていたので、私のやっていることに理解があったのだと思います。