体を張って貫いてきた女性たちの意義

隆盛を極める東海ヒップホップシーンで脈々と耕されてきた男女交流史の画像2

 男性ラッパー作品への女性の参加事例はその他にも多数存在した。AK-69はAIやシェネルなどのR&Bシンガーとの交流が盛んであったし、”E”qualはMay J.やFoxxi misQ、YA-KYIM、Adyaら多様なジャンルの女性ラッパー/シンガーと多くのコラボレーションを果たしてきた。

 同様に女性ラッパー/シンガー自身も自立した活動を展開しており、ANTY the 紅乃壱以外にも、1999年に鋭いビートによる怪盤『Nocturn Spark』をリリースした2MC・NOCTURN、2003年に『Sepia Time Film』で注目を集める以前から多くの男性ラッパー作品にジョインしていた來々、元々女性3人組だった時代を経てソロになり2000年代に名古屋シーンで話題を振りまいた蝶々、AYA a.k.a. PANDA、Strok、AA-Style、杏仁を客演に呼んだ象徴的な曲「SURVIVE」(2015年『PAN de MIC』収録)が記憶に残るMARIEなど、目立ったキャラクターの演者がいつの時代もひしめいていた。

 もちろん、それらのルーツとして、伝説のフィメール・グループであるAMAZONESにも触れないわけにはいかない。ANTY the 紅乃壱、NOCTURN、蝶々といった名古屋フィメールラッパーのオールスターが組んだグループは、2005年にEP『EIGHT ONE TURF』を残している。中でも蝶々の功績は重要で、2011年に「2ndGimmick RECORDS」という女性のヒップホップ作品専門のレーベルを立ち上げた功績は大きい。

MARIE「SURVIVE(AYA a.k.a.PANDA,Strok,AA-Style,EVA a.k.a.杏仁)」