ヒロイックなものを否定したところで、決起があった
――映画を観れば、川上はヒーローとして描かれていないことは分かりますが、公開前から「犯罪者を美化するのか」という批判が殺到しました。
それはね、映画を観ていない人たちが騒いでいるんです。映画を観れば、分かりますよ。確かに山上さんをモデルにはしていますが、映画はフィクションであり、モデルにしか過ぎないわけです。描こうと思えば、いくらでもヒロイックに描けますよ。でも、そういうヒロイックなものを否定したところで、山上の決起があったと僕は思っています。山上の決起は、決してヒロイズムからではない。追い詰められて、追い詰められて、自分を追い詰めて、決起しているわけです。ヒロイズムは関係ないですよ。それがうまく描けていないようでしたら、どうぞ批判してください。「足立は偉そうなこと言っていたけど、アンチヒロイズムは出てないじゃないかと」と酷評してください。
――ヒーローとしては描いていませんが、感情移入はしていますよね。
当たり前です。感情移入したぶんだけ、ヒーローではなくなっているんです。映画は主人公に密着しているわけだから、そこは揺るぎないわけです。決行した瞬間に川上が喜ぶ表情を見せるなど、ヒロイズムとして表現することは簡単なんです。そういう表情はいっさいさせていません。せいぜい、銃が完成した際に踊り出すくらいです。
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