――山上徹也容疑者は、足立監督の目にはどのように映ったんでしょうか。

 狂気からの犯行ではなく、非常に冷静に犯行を計画していたことはすぐに分かりました。犯行直後の山上は体を押さえつけられ、身動きひとつせず、自分が狙った方向をじっと見つめていた。「あっ、これだ!」と思いました。僕が『略称・連続射殺魔』(69)を撮るきっかけになった永山則夫(1968年に4人を無差別射殺した死刑囚)が原宿で逮捕された瞬間も、まったく同じ表情だったんです。これはやらざるを得ない、絶対にやるぞと、井上くんとシナリオのキャッチボールを始めたんです。

――その結果、3日間で脚本を書き上げ、8月末に8日間で撮り終えることに。

 優雅な時間でした(笑)。

――83歳になる足立監督ですが、いつでも映画が撮れるようスタンバイできているんですね。

 そうですよ。ポスターには「6年ぶり」なんて書かれていますが、ずっと寝てたわけじゃないからね。企画はいろいろ進めていたんですが、ポシャってしまっていたんです。それもあって、これだけはという気持ちで、一気呵成に完成させたんです。それで岸田が国葬にすることをすぐに決めたでしょ? このやろう、と思った。旅券を拒否したのも岸田だったけど、安倍がやっていたことをすべて収奪しようと岸田はしている。じゃあ、国葬の日にぶつけようと決めたんです。