それは、フィルムというものの暴力性だ。

 映画の記録媒体としてのフィルムは、ゴア描写とは別の意味で「残酷」だ。なぜなら、撮られている被写体が意図せざるものが、あるいは映ってほしくない内面が、どうしようもなく映りこんでしまうことがあるからだ。それは、もはや暴力と呼んでよい。

 スピルバーグはそんなフィルムの暴力性を、少年時代に早くも気付いてしまった。キャンプ旅行でカメラを回していたサミーは、期せずしてそのフィルムに、母・ミッツィの「ある真実」が写り込んでいることを発見してしまう。