◆超ド級の告白をサラリと言ってのける山本耕史の巧さ

 翌朝、右衛門佐に優しく顔を撫でられる徳子は無垢な少女のようだった。素顔の徳子。右衛門佐の「私は上様に恋をしておりましたよ。ひと目お見掛けしたときから」の言葉は、超ド級の告白であり(この文語をさらりと言えってしまえる山本の巧さ!)、続く「私の思いを代わりに言ってもらっておりました」にも失神者が続出しただろうと想像できるが、徳子の幸せは「恋をもらった」ことより、「恋をした」ことだったのではないだろうか。そして徳子もまた、あの「孟子か」「今度は論語か」の会話の瞬間から、すでに右衛門佐に恋していたのだ。

「なんという幸せか」。その瞬間、ふたりは堕ちたのではなく、ともに自由へと昇華した。

 翼を得た徳子は、綱吉として、世継ぎを桂昌院が反対していた甲府の綱豊と決めた。すがる桂昌院の手にかかり落ちる打掛のシーンは、原作屈指の名シーンである。原作は、漫画ならではの、重力を感じさせない、ふわり舞うような打掛と、解放された徳子の軽やかさが素晴らしい。対して実写は、「こんなにも重いものをずっと身に着けてきたのか」と思える、そして、そこからの解放を実感させる、こちらも素晴らしいショットとなった。

 さらに続く徳子のアップの輝き。誠に清らかだったが、原作を読んでいる身としては、あまりに美しいからこそ、待ち受ける展開がよぎって号泣した。さらに、このくだりの締めが徳子の背中のショットというのもまたすごい演出であった。