永禄6年(1563年)、三河の一向一揆鎮圧戦において、一向宗信者だった正信は、家康ではなく、一揆側に味方しただけでなく、戦後、勝者となった家康が、離反した正信たちに寛大な処置を提案したにもかかわらず、正信は家康のもとには帰りませんでした。そしてそのまま、先述のように約20年も戻ることはなかったのです。

 いつ、どのように家康と正信が“復縁”したのかはよくわかりません。時期は天正11年(1583年)ごろだと推定する学者もいます。このとき、家康と彼の間をつないでくれたのが、本多家のライバルである大久保家の面々だったそうですが、主君に対し、20年間もの不義理をおかしたツケを正信は払わねばならず、家康のそばに仕えることは許されたものの、「鷹匠(たかじょう)」という役職につかされたともいわれます。家康が鷹狩りを愛好したのは有名ですが、これは専門的なトレーニングを施した鷹や隼などの猛禽類と協力して獲物を捕まえる伝統的な猟法です。鷹狩りに用いられる鷹たちの世話が鷹匠の主な仕事ですが、一般的に身分の低い者がつく役職でした。

 これまでの伝統的な大河ドラマならば、前述のような事情から、本多正信は登場しない期間のほうが長く、彼が本当の意味で活躍し始めるのは「本能寺の変」よりさらに後年、ドラマの後半になるでしょう。ただ、古沢氏の独断場となりそうな『どうする家康』は伝統的な価値観とは離れてつくられているドラマのように見受けられますし、史実を大いに逸脱したオリジナル要素が付与され、本多正信も通年で活躍してくれるかもしれません。近年の松山さんは、腹に一物抱えた人物の演技が似合う役者さんです。ドラマの家康家臣団は基本的に「いい人」ばかりなので、毛並みが違う家臣もいないと締まりません。それゆえ、「家臣団の嫌われ者」「胡散臭く、無責任な進言をするイカサマ野郎」な正信を演じる松山さんには大いに期待したいところですね。