ここで、家康の上ノ郷城攻めについて記した『鵜殿由緒書』にお話を戻します。多羅尾四郎兵衛が江州の大名だという記述からもわかるように、多羅尾家は甲賀が拠点です。上ノ郷城攻略戦において、本当に活躍したのは、第5回のあらすじにあったような「伊賀忍者の服部一党」ではなく、甲賀の「忍び」でした。
史実では、家康のために多くの人々が甲賀から駆けつけ、上ノ郷城内に夜闇に紛れて忍び込み、櫓(やぐら)に放火したので、敵方は大混乱に陥りました。その状況に助けられ、家康軍は難攻不落の城を落とすことができたのです。また別の史料では、家康が、甲賀の者たちと交流のある家臣・戸田三郎四郎たちを同地に派遣し、家康の危機を知った伴与七郎や鵜飼孫六など280名もの甲賀の忍びたちが駆けつけてくれた(『改正三河後風土記』)ともあります。いずれにせよ、ドラマで描かれるであろう、忍びの者たちを率いた服部半蔵の活躍というものは史実ではなさそうですね。
ではなぜ、甲賀者の手柄のはずが、ドラマでは伊賀者の活躍に変わってしまうのでしょうか? その理由はシンプルで、ドラマの前半の山場になるであろう「神君伊賀越え」において、服部半蔵と彼が率いる伊賀忍者の一党が、今回の大河でも大活躍する予定だからでしょう。さらに、服部半蔵はいわゆる「徳川十六神将」の一人で、人気キャラですから、そんな半蔵が「伊賀越え」で初登場するのではダメだろうという“大人の理由”があって、史実が大胆にアレンジされたのだと思われます。いきなり出産シーンで登場した松嶋菜々子さん演じる於大の方のように、山田孝之さんというビッグネームが演じる服部半蔵にも印象的な登場シーンが必要という判断なのでしょうね。
これも後に詳しくお話する機会があると思いますが、「神君伊賀越え」において伊賀忍者たちが活躍したという話は、実は昭和10年~30年代の「(第二次)忍者ブーム」の中で作られた“ストーリー”にすぎず、幕府の公式史である『東照宮御実記』において、服部半蔵や伊賀忍者の道案内という要素は登場しません。それどころか同書には「近江国甲賀のその土地の侍など100人余りが道案内に参上した」と書かれているのです。