さらにカールは漂着した島で、空腹のあまり他人(客船の清掃係の女性)のリュックを開けて勝手にお菓子を食べてしまうが、それを詰められるとバレバレの嘘をつく。それでも逃げられないとわかると、開き直って「僕らにも言い分がある」と攻撃的なジェスチャーを交えて言い返そうとする。「謝ったら死ぬ病」だ。なぜ素直に謝らないのか? 謝ることで、彼が後生大事にしている(旧来的な)“男らしさ”が破壊されるからだ。
オストルンド作品を観れば観るほど、「松本人志の映画が、もしある種の深化を重ねていれば、こうなったかも……」と、つい思ってしまう。少なくとも1作目の『大日本人』には、まだ「そうなる可能性」があった。
街を襲う巨大生物を退治するおっさん・大佐藤大(演:松本人志)の悲哀、しょっぱさ、惨めさに、かつての『ごっつええ感じ』の香りが残りつつ、映画的フィクションとしても成立していたからだ。大佐藤大には紛れもなく、トカゲのおっさんの名残があった。ただ松本は、その後の監督作ではもっと別のものを追求していく。
表現者がどんなモチーフを選び、どんなテーマを追求するかなど表現者の勝手であり、一観客が注文をつける権利などない。余計なお世話にもほどがある。
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