その言い合いはレストランの外まで続き、「男女の役割にとらわれるべきじゃない」「なぜ(出しかけた)お札をしまった?」とカールは食い下がる。これは一体なんの映画なんだと不安になるくらいしつこく、そのくだりは続く。執拗で、ひりひりしていて、どこか滑稽。『ごっつええ感じ』にこんなコントがあっても不思議じゃない。

 男女は対等であるべきだというカールの主張には、無論正当性がある。しかし、であれば、気色ばむことなく「僕の収入のほうが少ないから、今日は払ってくれる?」と穏やかにお願いすればいいだけだ。だが、それはできない。なぜならカールは心のどこかで、まさに自分で口にした「男女の役割」にとらわれ過ぎているからだ。「男性とは本来こうあるべき(女性より収入が高くあるべき、全おごりすべき)」という“有害な男らしさ”に縛られているからだ。

 だからこそ、収入が低いゆえに「支払いが痛い」と感じてしまう自分の不甲斐なさに蓋をするべく、カールは感情が高ぶってしまう。自分が「小さい男」だと見られたくないゆえの言動が、むしろ「小さい男」であることを際立たせてしまう。悲しくも惨めだ。

 また、カールは豪華客船の甲板上で、マッチョでセクシーな男性クルーがヤヤに挨拶し、ヤヤがそれに笑顔で応えたことに苛立ち、焦る。結果、客室乗務員のチーフに「クルーのひとりが上半身裸になっていてタバコも吸っていた」と“告げ口”までしてしまう。本当に器が小さい。