松本演じる“トカゲのおっさん“は「自分はそれなりの人物である」というプライドが強い自我を形成している。しかし弱い者(浜田演じる目下の少年)には威張るが、強い者(蔵野孝洋〈ほんこん〉演じる母親の交際相手)には強く出られない。肝心なところで責任を取れない、取りたくない。他責志向。でもメンツや体裁だけは「男として」保ちたい――。
このギャップが笑いに昇華されれば喜劇となるが、本人の苦痛や周囲の迷惑が閾値を超えれば、当世風で言うところの「有害な男らしさ」となる。そのギリギリのラインを37分間攻め続けた奇跡のようなコントが、「トカゲのおっさん」だった。
そのような男性性に関する問題を、さまざまな物語舞台上で批評的に設定し、かつ劇映画としての緊張感と完成度を圧倒的なまでに高めて描くのが、リューベン・オストルンドの一連の作品である。
オストルンドの前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』は、現代美術館のキュレーターとして社会的地位のある男・クリスティアンがスマホを盗まれたことをきっかけに、次々と理不尽な不運に見舞われる物語だ。
※『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
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