「元」の文字を捨てた理由はわかりやすいですが、よくわからないのが、「家」の文字が採用された理由です。世間では、家康の遠い先祖にあたる(とされる)平安時代のカリスマ武将・源義家の名前から一文字頂くことにした……などと説明されていますが、これも仮説にすぎないのです。

 先述のとおり『御実紀』にも改名の理由の記述はありませんし、また、同書においては、「徳川家の出自の起源」とされる清和天皇から家康の先祖の歴史が脈々と記されているのですが、その中で源義家だけが特別に扱われているようなこともありません。

 現在では家康の『御実紀』だけでなく、各将軍の公式伝記が『徳川実紀』と総称されて誰でも読むことができますが、江戸時代にこの手の書物を読むことができたのは、将軍とその周辺にほぼ限られていたと考えられます。おそらく、「神君」家康が元康から家康に改名した事実だけは広く知られているのに、その理由がわからなかったからこそ、江戸時代の庶民たちはさまざまな仮説をひねり出さざるをえなかったのではないでしょうか。そのうちの一つが、「徳川家康の先祖の一人で、清和源氏の祖とされる源義家にちなんだ」という説だったのだと思われます。

 では、その義家起源説が有名になったのは、いつごろのことだったのでしょうか。