――とはいえ、そのネタが「宇多田ヒカル」だったのは、なにかあったんですか?

ミラクル:当時、流行っていたのはもちろんですが、宇多田ヒカルファンだったし、顔も似てるって言われるし歌も好きだったんで、ある時から「宇多田ヒカルのモノマネを完璧にする」という趣味を作ったんですよ。毎日練習していたら、自分の中で芸としてかたまっていきました。

 それで、美容師のモデルハントって「お時間ありますか?」とか言って一人ひとりに声かけるのって疲れるんです。いっそのこと、なんかやってやれ!と思っちゃったんですよね。全身タイツを穿いて、宇多田ヒカルの楽曲を歌うショーを毎日やって。それが19歳の時ですね。当時は、松田聖子さんと宇多田さんのモノマネしかなかったです。

――その頃から、「ミラクルひかる」という芸名を自分で決めていたんですか?

ミラクル:芸名はウチの事務所の社長であり、師匠でもあるダンシング☆谷村がつけてくれました。そもそも、私を受け入れてくれた事務所がここ(ジンセイプロ)だけだったんですよ。私もモノマネ事務所なら、すぐテレビに出られる気がしたので、東京のとあるものまね事務所に手紙を出して……いろいろな経緯でダンシング☆谷村が拾ってくれました。