ディール:私はすでにNetflixでプロデュースした作品があって、その経験から言うと、インディペンデント系作品のプロデューサーや監督として仕事をすることに比べると、孤独感は減ります。普通、配給は自分たちで地道にしなければなりませんが、配信の場合は世界各国で同時に観てもらうことができます。

 マーケティングやデータの部分でも解析してくれるので、大きなリスクはありません。しかしリスクがない分、自由が奪われる側面もあります。

 私たちは『エンドロールのつづき』をグジャラート語で作ることにこだわりました。しかし投資家たちからはヒンディー語で作ることや、ヒンディー映画の大スターを起用するように注文があったし、そうすれば「資金や公開形態をもっと大きくできる」とも言われました。

 ですが、私たちは質にこだわったものを作るという覚悟があったからこそ、それはしませんでした。

 配信サービスというのは、映像制作会社というよりは、技術系の会社に近い部分があって、大切なのはどうしても“数字”になってきます。どれだけ短期間で視聴されて、どれだけ話題になるかを重視しています。

 それに比べると、映画のスタジオの場合は、短期間の視聴回数よりも、どれだけ後世に残っていく名作になるかということを目指しています。例えばパラマウントが『ゴッドファーザー』(72)を作ったときには、公開時の興収だけではなく、50年後に残る映画かということを考えていました。“自分たち”の映画を作っているという意識が強く、インセンティブという点においてもそれが伴うことから、次の作品を作るときのバイタリティにもなっていたと思います。

 ところが、配信作品の場合は、依頼を受けて制作するため、権利が配信サービス側にあり、作り手側には残らない状態になってしまうものが多いのです。その点はマイナス面ではありますが、ナリン監督とも話し合った結果、それでも今後、挑戦はしてみたいと思っています。