『承久記』版では代読ではなく、政子自らが声を上げ、武士たちに主張したという設定ですが、端的に言うと、「私の孤独をこれ以上、深めないでちょうだい」という感情論であり、『吾妻鏡』のビジネスマンのようなプレゼンとは質を異にしています。『承久記』版の演説内容の要約は以下のとおり。

「私は頼朝さまとの間に四人の子を授かった。しかし全員が私に先立って亡くなってしまった。後鳥羽上皇が討つべしとおっしゃる弟の義時を今、失えば、私は本当に一人になってしまう。だから弟を死なせるわけにはいかない」

 『承久記』の政子は、夫や子供に先立たれた悲しい妻あるいは母としての自分を強調し、世間の男性の同情を買って、彼らの力にすがろうとしているかのようです。伝統的な意味で“女性的”といえる点は見逃せません。なんとなくですが、『鎌倉殿』の政子であれば、『吾妻鏡』より『承久記』寄りの演説になりそうですね。

 なお、「演説」の語は、明治時代の福沢諭吉が『学問のすゝめ』で「スピーチ」の訳語として作成し、自ら実践して広めたことで世間に定着したという説があるため、政子の「演説」(もしくは自説を代読させ、披露した行為)は史実的にはありえないという指摘もあります。