その一方で、鎌倉末期~南北朝初期に成立した軍記物語『承久記』における政子は、御家人の前で自ら声を上げて演説をしたとされています。ここで興味深いのは、両書に見られる演説内容の違いです。

 『吾妻鏡』版では、演説内容がかなり“男性的”といえる論理性を備えているのが気になります。該当箇所に言葉を補いつつ意訳すると、

「私たちは朝廷の命じるまま平家と戦い、以来、常に朝廷のために働いてきた。(略)頼朝さまは、御家人の皆のために、よい政治をおこなってきた。かつて坂東の武士たちに課されていた大番と呼ばれる労力奉仕は3年もの長きにわたったが、頼朝さまのおかげで、期間が6カ月に短縮された。こういう頼朝さまのご恩を忘れたという者はすぐに出ていきなさい。頼朝さまをありがたいと思う者は一緒に朝廷と戦おうではないか」

 義理人情に訴えつつも、労力奉仕の期間が頼朝の政治力で大幅に縮まったなどの具体的な“利益”の例を挙げることも忘れておらず、非常に効果的なプレゼンです。しかし、この内容を政子本人が演説したのなら、高貴な女性にはふさわしくない、アグレッシブすぎる行為だと見られかねず、世間にそう思われてはいけないという“配慮”が『吾妻鏡』の編纂時には働いたのかもしれません。