◆24歳で監督デビュー、37歳で制作会社設立

「それからはフリーの助監督として活動しました。今思えば、いろいろなことがあったけど、当時はこの苦労は自分のため、自分の映画のためと割り切って考えていたような気がする。先は見えなかったし、博打みたいな人生だとも思ったけど、それを選んだのは自分だから、自分で自分を認めるしかないわけですよ」

浜野佐知インタビュー202301-1b
全力でまっすぐに自分の道を努力しながら歩いていれば、道は開けていくものかもしれない。あるとき彼女は初日にばっくれた監督の代理として映画を作りあげ、その半年後についに初監督作品を撮ることができた。

1972年『十七才すきすき族』、24歳と若く、ピンク映画界から這い上がってきた女性監督が誕生したのだ。

37歳のときには自身の制作会社「旦々舎」も立ち上げた。自身がプロデューサーとなれば、好きなように映画を撮ることができる。

浜野さんは今でも、「あなたにとって映画とは」と聞かれたとき、「職業です」と淡々と語る。聞いたほうは映画へのロマンややりがいを尋ねたいのかもしれないが、彼女はあくまでも「プロの映画監督であることが職業」と断言する。おそらく「職業」への思い入れが、聞いている側と語る側において違うのだ。

「夢やカスミで人は生きていけない。職業は、私にとって生きることそのもの。だから職業と答えているんです。特に今の時代、デジタルで誰でも映像作品は撮れる。映画監督と誰もが名乗れる。でもそれとは違う自負心です。その道一本で生きていくのは大変ですよ。それでも私は壁を壊しながら、プロの映画監督として生きてきた。プロの映画監督しか、私には選択肢がなかったんです」