細田は『ハウルの動く城』で監督の予定だったがある事情から降板、以後は自身のスタジオで名監督として名を馳せる。

 近藤、細田の二人が「次代のジブリ」として名を遺す未来は失われた。その理由は今も詳しく語られてはいないが、理由のひとつに宮崎、高畑からのすさまじいプレッシャーがあったからといわれている。

 そう考えると米林監督も大変なプレッシャーがあったと思われる。なにしろ、ジブリの名を冠する以上は何をやっても宮崎、高畑と比べられるのだから。本人が意識する、しないは別として。

 だから巨匠があまり手を付けていない百合もの(に見えるような作品)挑んだのはテーマだけでも巨匠の影を避けたかったという意図が見えなくもない(ただし原作本は、宮崎駿のお勧めだったそうだが)。