引退後の猪木を語るうえで最も欠かせないのは、2002年2月1日に北海道立総合体育センター大会で行われた「猪木問答」だろう。
当時、猪木は総合格闘技イベント「PRIDE」のエグゼクティブプロデューサーに就任していた。新日の選手を総合のリングに送り込んでは、プロレスラーが連敗を喫するという流れができあがりつつあったのだ。この流れを嫌った武藤敬司は、ついに全日本プロレスへと移籍してしまった。
そのタイミングで、蝶野がリング上に猪木を呼び寄せた。マイクを持った猪木が場を仕切り、「現在の新日本をどう思っているか?」を各選手に迫るやり取りが、俗に言う「猪木問答」である。新日本プロレス低迷期を象徴する、歴史的な名場面だ。
こんなやり取りから始まった。
猪木 「蝶野! 怒ってるか、オメエは?」
蝶野 「ここのリングで俺は、俺はプロレスがやりたいんですよ!」
猪木 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし」
なぜか、ポエムを詠み始めた猪木。当時のオーナー・猪木が推し進める格闘技路線に不満を抱く蝶野には言いたいことがあったものの、猪木は話をそらし、いつしか猪木に文句が言えない雰囲気になってしまった。結果、身の置きどころがなくなっていった蝶野。猪木のほうが上手だった……と評することもできる。
猪木 「オメエは!?」
永田 「すべてに対して怒ってます!」
猪木 「すべてってどれだい? 俺か? 幹部か? 長州か?」
永田 「上にいるすべてです!」
猪木 「そうか。ヤツらに気付かせろ」
猪木とのやり取りについて、「KAMINOGE」vol.132で永田裕志本人が振り返っている。
「『ヤツらにわからせろ!』って言われて、結果的に僕の怒りの対象から猪木会長が消えちゃったんですよ。でも、猪木さんの前で『猪木さんに怒ってます!』とは言えないでしょう(笑)」(永田)
「上にいるすべて」には自分も含まれているのに、他人事として処理した猪木。いかにも、猪木だ。
猪木 「自分は!?」
鈴木 「僕は自分の明るい未来が見えませぇ~ん!」
猪木 「見つけろ、テメエで!」
「明るい未来が見えない」と答えた鈴木健想は、後に共同テレビのプロデューサーへ転身。猪木の闘病生活を追ったドキュメンタリー『燃える闘魂 ラストスタンド~アントニオ猪木 病床からのメッセージ~』(NHK BSプレミアム)を制作したのだから、明るい未来をテメエで見つけ、最高の恩返しを果たしたと言える。
棚橋 「俺は新日本プロレスのリングで、プロレスをやります!」
猪木 「まあ、それぞれの思いがあるからそれはさて置いて」
付き人をしていた武藤についていかず、新日所属を貫いた棚橋弘至による熱いマイクである。この日の猪木問答で最も意思が固かったのは、棚橋のこの発言だ。そして、彼はプロレス生活で有言実行を果たした。後年、まさしく棚橋が新日の“中興の祖”になったのだから、彼のマイクには大きな意味があった。
実は、猪木問答から9カ月後の2002年11月、別れ話のもつれで棚橋は交際中の女性から背中を包丁で刺されるというトラブルに遭った。このスキャンダルにより、団体内で解雇寸前の扱いになった棚橋。
直後、棚橋は猪木からPRIDEの会場に呼び出され、「女に刺されたレスラーはいないじゃないか。面白いよ」と言葉をかけられたらしい。10年後、2人は対談(2012年12月31日「週プレNEWS」)を行い、当時の騒動を笑いながら振り返っている。
猪木 「俺んとこにしょぼくれて来たもんな(笑)」
棚橋 「当時、僕はデビューしたての若手だったんですけど、猪木さんにお会いして、『お騒がせしました!』って挨拶したら、『騒いでねえよ』って。ホッとしました」
猪木 「ハッハッハッ! 人を騙したりとかしたわけじゃなかったから。まあ、騙したのかもしれないけどな、女の子を(笑)」
棚橋 「まぁ、ある意味……(苦笑)」
猪木 「許せる罪と許せない罪は区別しないといけない。世の中があんまりちっちゃなことを取り上げて、人の芽を摘んじゃうっていうのはね。政治家なんかもホントにどうでもいい話が山ほどあるんだけど、スキャンダルに流されて潰れちゃう。政治の場合とは違うけど、我々はスキャンダルを勲章と思える発想を持たないとね」
1998年4月4日、猪木は東京ドームで現役を引退した。集まった観衆は7万人(超満員札止め)。芸能コンサートや他ジャンルのスポーツイベントも含め、二度と破られないであろう観客動員数だ。引退試合の相手は、ドン・フライ。UFCの歴代チャンピオンが集結し、オールスターで行われたトーナメント戦「Ultimate Ultimate 1996」を制した猛者である。
この日の猪木の動きは、引退試合にもかかわらずキレキレ! 驚くほどハードヒットな延髄斬りを決め、わずか4分という短時間の中で極めたグラウンド・コブラツイストにより、フライを仕留めてみせた。
猪木が亡くなったなんて、今も信じられない。映像で見たり、思い出したりする猪木は、ずっと元気なのだ。そして、今回は語り足りなかった。カール・ゴッチについても、ビル・ロビンソン戦についても、弟子である藤波、長州、前田らとの闘いも、政治家としての顔も、滝沢秀明戦についても、どれもこれも語りたかった。『ワープロ』流に例えるとすれば、「残念ながらこのへんで、蔵前国技館からお別れします」といったところだろうか。
逆に言えば、猪木の特集を1時間にまとめた『アメトーーク!』スタッフに「ご苦労さま」と伝えたい。アントニオ猪木のカッコ良い部分も、ズンドコな部分も、どちらもあって今回の放送は良かった。AmazonプライムやYouTubeといった媒体で有田もプロレス番組を配信しているが、『アメトーーク!』のように試合映像があると、さすがに面白さは増した印象だ。そして、出てくる話の一つひとつが我々の記憶にちゃんと残っているのが、猪木の特集ならではだった。やはり、猪木は不世出のプロレスラーだ。
おそらく来年2月、引退を迎える武藤敬司をテーマにやはり『アメトーーク!』は特集を組むと思う。今回のように充実した内容を、そのときも期待したい。