その後、ハンセンは全日本プロレスに移籍。不沈艦が去った後に台頭したのは、“超人”ハルク・ホーガンであった。外国人選手ながら猪木とタッグを組むなど直接の薫陶を受け、ホーガンは成長していった。

 猪木の事件史で欠かせないのは、83年に行われた第1回IWGPの決勝戦だ。優勝を争うのは、この頃まだ格下と思われていたホーガン。しかし、試合は予想外に猪木が苦戦する展開に。終盤、エプロンに立った猪木めがけてホーガンが見舞ったのは、ハンセンのウエスタン・ラリアットを参考に考案したアックスボンバーである。

「さあ猪木、魂のゴング鳴る。あぶなーい! アックスボンバー、三又の槍!!」(古舘)

 ホーガンをローマ神話のネプチューンになぞらえた古舘の名実況をバックに、リング下へ落下した猪木。ここで、猪木は動くことができなくなった。坂口征二らセコンド陣は死に体の猪木を無理やりリングへ戻したが、舌を出したまま猪木は失神。「やってしまった……」とばかりにオロオロするホーガンが、猪木の悲願であるIWGP制覇を成し遂げたのだ。のちにホーガンはハリウッドへ進出。映画『ロッキー3』に出演し、悪役レスラー役でロッキー・バルボアと対戦するほどの出世を果たしている。

 一方、敗者となったのは猪木だ。傍目から見ると、「猪木は死んだ?」と思わせるほどの衝撃だった。

「あのまま入院しちゃうんだけど、入院しているところにお見舞いに行ったら、猪木の弟(啓介さん)がベッドに寝ていたんです。猪木、いなかったんですよ。だから、もうワケわかんなくなっちゃって。だから、坂口征二が一時期、姿を消したんです。手紙をポンと1枚置いて、そこには『人間不信』って4文字が書いてあった。猪木はたまに、身内にもギミックを仕掛けるんです。何をするかわかんない」(古坂)

 諸説ある。予定調和を嫌う猪木が失神したふりをし、スキャンダラスな形に試合を色付け、世間へ届く結末へと導いた。はたまた、借金取りから逃げるために入院した……などなどだ。なんにせよ、坂口による「人間不信」も含め、第1回IWGPの顛末を古坂はよく解説していたと思う。さすがに、地上波で「ギミック」という言葉を用いたあたりはヒヤッとしたが……。

 続いて有田が挙げたのは、はぐれ国際軍団との1対3変則マッチである。国際プロレス崩壊後、ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の3人が新日に殴り込みを掛け、「3人まとめてやってやる!」と猪木が受けて立ったことで実現した試合だ。

 現代の感覚で振り返ると、国際側の切なさに感情移入してしまう。帰る場所のない男たちが、格下扱いの「1対3」という屈辱的なマッチメイクを受け入れたのだ。特に、大相撲出身の木村はサンボの心得もあり、ガチンコの強さには定評のあるレスラーだった。

 有田がこの試合の見せ場としてピックアップしたのは、レフェリー・山本小鉄の活躍である。

「猪木さんを3人がかりでやったらいけないわけ。だから、タッチしないで入っていくみたいなのも絶対に許されない。だから、そこはレフェリーたちが頑張るわけです。止めるのが面白い!」(有田)

 猪木の関節技に悶絶する木村を救うべくリングに入ろうとする浜口や寺西を、身を挺して止める小鉄。試合を裁きながら、残る2人に低空の両足タックルを決めまくる姿は“鬼軍曹”の面目躍如だ。このシーンだけ見ると、さながら小鉄が主役の試合のようにさえ思えてくる。「小鉄さんがキャディラックを停める音が道場に聞こえただけで震え上がった」とは、練習生時代を振り返る際の前田日明の証言だ。

 この試合で、順調に2人(浜口、寺西)抜きを果たした猪木。しかし、最後は木村のラッシングラリアットを食らい、ロープに脚を引っ掛けたまま起き上がることができず。結果、猪木はリングアウト負けを喫した。この結末で最も悔しさを露わにしたのは、リングカウントを数える小鉄レフェリー本人であった。

 ただ、バックステージでは、新日を揺るがすクーデターの首謀者だった小鉄と猪木の仲は険悪だったと言われている。「底が丸見えの底なし沼」とは、プロレス界に古くから伝わる言葉だ。

 さらに有田は、国際軍団が新日に初登場時のエピソードも紹介した。