◆夫と泣いて、夫と考えるこれからの家族計画

 亡くした子を悼むのは私だけでなく、夫も同じでした。彼は、私同様、仲の良い友人・知人にオープンに話し、元気でない様子を隠さず表に出しました。ドイツでは胎児の遺体は合葬されることが多いのですが、私達は病院で知らされた墓地に連絡を取り、墓石の位置を教わり、お墓参りに出かけました。

 これも手術の約1か月後のことです。到着後、二人とも泣きました。夫はサングラスをかけたまま、しくしくと。私は墓石の近くにあった大きな木にしがみつきながら。最後は抱き合いながら泣きました。一人だけでなく、夫婦で哀惜(あいせき)することも娘のいる日常では難しかったので、貴重な体験でした。

 お墓参り以外の時も私達は「最近、どんな気分?」としばらくはお互いの心境を聞き合っていました。これからの家族計画についても探り合いました。二人とも再挑戦を希望していたのですが、私の方がなるべく早く三度目の妊娠を望んでいました。夫は時に囚われることなくストレスフリーに。後者の考えの方が焦りもなく、心身にとっては楽です。

 私は半年経った最近、このような落ち着きをやっと持てるようになりました。特別なきっかけがあったわけではありません。一つ、役に立った情報といえば同じ経験者の話を読んだり聞いたりしている内に、健康面では次の妊娠は可能でも、みんな時間がかかるのだと悟ったからです。

◆4歳の長女に告白 未知の兄弟に関心を持つ

母と娘
 ある日、娘が幼稚園で同じ組の男子の話をしました。弟が生まれたのだと。でもママのお腹には死んだ赤ちゃんがいたこともあるのだと。とてもドライな口調で娘は話し、私達はただぽかんとしていました。もちろん私達の身に起こったことは秘密にして・・・。

 そして先月、娘に私の流産について告白しました。きっかけは一緒に遊びたがる娘に「今、お皿を洗ってるから」と断ると「赤ちゃんがいたら、その子と遊べるのに」と言われたこと。娘が兄弟を望んでいることは知っていました。最近の私の心は平穏だったので、私はその場で告白を決意しました。蛇口の水を止め、娘の目線の高さまでしゃがみ、こう言いました。

「あのね、本当はここ(お腹を撫でながら)に赤ちゃんがいたんだけど、死んじゃったの」「そうなんだね。幼稚園の○○のママもね……」と娘は前にもした話を繰り返しました。子供の理解とはすんなり入るもので、自然現象に対して無感情な反応があるので興味深いです。

 娘は顔を曇らすことなく私の話を聞いていました。別の日には突然「死んだ赤ちゃんの名前は何?」と言ってきたこともあります。娘が見たこともない兄弟に関心を抱くと、私は少し嬉しくなります。これもまた助産師のカウンセリングで感じたような優しい慰めになるのです。