「まずい」という発言は、覚悟が必要。その効力は?
私は投稿者の方にもの申したいとか、トップバリュのそうめんを過剰に擁護するつもりはありません。何よりも私が大切にしたいのは、この商品をおいしく食べようと工夫をして、実際にポジティブに味わっている人がいるという事実です。
例えば、食べ盛りの子どもをたくさん育てる家庭を想像してみましょう。私も小学生の子どもを育てる母親の立場であり、「なるべく安く、なるべくおいしく」を目指して家計・料理の工夫をしています。ですからこのそうめんの存在はありがたくもあり、同じように日々奮闘しているパパ、ママの中でこのそうめんを買っている方がいるとしたら、投稿内容に不快感を抱いて欲しくありません。おいしいと思って食べている人の日常をむやみに否定することにならぬよう、ただただ願うばかりです。
筆者がトップバリュベストプライスの名品だと思っている「プチカップケーキ」(税込価格 278.64円)15個入り
一方で、特定の食べ物について「ひどい・まずい」と評価する自由もありますから、私は投稿者の方に対して意見や要望は一切ありません。しかしながら科学的な計量分析を除いて、おいしい・まずいは主観的要素が大きく、完全なる客観的評価が難しいこと、先述のように不特定多数の大切な日常を否定する可能性がありますから、「まずい」という発言には“覚悟”が必要であるとは思います。
そして何より、消費者から選ばれないものは売れずに自然淘汰されていくはずですから、自分が本当においしい食べ物に出逢いたいのであれば、発言以上に“消費行動”の方が最終的には確かな力を持つことを意識しておくことが効果的でしょう。
【こちらの記事もおすすめ】