役者の仕事は、就職と失業を繰り返すようなもの

濱田岳が子役時代に故・蟹江敬三にかけられた“忘れられない一言”
(画像=『女子SPA!』より引用)

濱田さんが演じた「ミライ」

――「壁に当たる経験をしていない」とのことですが、それでもやはりプレッシャーなどは大きい世界ですよね。

濱田:続けてきてなんとなく思うのは、僕らの仕事はその都度、就職して、その都度、失業することの繰り返しなような気がするんです。現場ごとに就職する、撮影が終わればまた無職。その繰り返しなので、お別れのセンチメンタルな悲しさもあれば、恐怖に似た感情もある。それがツラい部分ではありますが、この仕事でしか味わえない魅力のひとつかなとも思います。

――なんだか、達観した印象も受けます。

濱田:なんでしょうね(笑)。これも9歳までさかのぼるのですが、THE BLUE HEARTSの影響が大きいです。当時、視聴率が悪いと言っても15%とか普通にとっていた時代で、テレビドラマに出ると露骨に世界が変わるんですよね。街を歩いていると、通り過ぎる方に「あっ!」と言われ、同じ学校の生徒たちが好奇の目で見てくるようになる。言っても子どもですから、それがとても居心地が悪かったんです。「チェ」って気持ちになっていた。

 その時にTHE BLUE HEARTSが聴こえてきて、興味を持ってレンタルショップに行って借り漁って。小学生なんですけどね(笑)。曲を聞くと「いいじゃないか、お前はお前で」と言ってくれているような気がしたんです。そこから一瞬で、くさくさした小学生じゃなくなった。誰かのサイズに合わせて自分を殺すことはないと思えた。ヒロトにとっては、それは死を意味するのかと。そういう歌詞が岳少年には響いて、僕は僕らしくいようと。

――9歳のときのさまざまな原体験が基礎になっているんですね。

濱田:そう思います。もう33歳なので「当時とまったく一緒です!」ということではありませんが、あの少年が頑張ったおかげで今があるんだなと、ちょっと思ったりします。「自分、よく頑張った!」という感じではなく、あの少年が頑張ったから今僕は生きているのだなと思うんです。何だかヘンな感じがしますが、今こうして振り返るとそう感じますね。