アイヌ民族の住居は?

アイヌ民族の間ではアイヌ民族が生活する集落を「コタン」と呼んでいました。
コタンは地震や洪水などの災害に遭いにくく、食糧や水が得やすい場所に作られることが多かったとされています。

コタンの中にあるそれぞれの住宅を「チセ」と呼び、チセは夏は涼しく、冬は暖かく生活できるように作られていたそうです。
チセを建てるときに使われた材料は骨組の木がヤチダモやハシドイ、壁や屋根にはササなどの草やシラカバの木の皮など全て自然のものを使って作られていました。

アイヌ民族の衣服は?

アイヌ民族の衣服には刺繍などによってモレウ(アイヌ語で渦巻き)やアイウシ(アイヌ語でトゲ)といった独特の模様がデザインされています。
これらの模様は地方によって異なり、アイヌ民族の衣服を作る母から娘へ代々伝えられてきたとされています。

またアイヌ民族の人たちが仕事をする時には、手甲や脚絆をつけることが多かったようです。
重要な儀式が行われるときは男性は「サパウンペ」という冠を身に着ける習慣がありました。
サパウンペはブドウヅルなどの皮を編んで冠の形を作り、クマの彫刻や鳥の頭蓋骨などを使って装飾されていました。

アイヌ民族の食生活は?

アイヌ民族の食生活はアイヌ語ではルル、オハウという料理を主食としていました。
ルルもしくはオハウは、鳥獣の肉、魚、山菜などの具がたくさん入った汁物で、調味料として塩が使われていました。
またアイヌ民族の暮らす土地は寒冷地であることから、栄養分や調理の味をまろやかにするために油脂も加えられていました。

秋になると川を遡上するサケを大量に捕獲して燻製にし、保存食として干物を作っていました。
またサケの干物は保存食としてだけでなく、和人との交易品としても必要でした。

現在のアイヌ民族の人権問題は?

日本では「コシャマインの戦い」が起こった当時から、アイヌ民族の人たちに対しての差別がありました。
また戦いに敗れたことでアイヌ民族の人たちは住んでいた土地を追われ、交易権利を取り上げられたという歴史があります。
そのことによって、アイヌ民族の文化や歴史まで存在の危機に瀕した歴史があります。