アイヌ民族とはかつて寒冷地に住んでいた人々ですが、日本では北海道でアイヌ民族が暮らしていました。現在でも北海道にはアイヌ民族の血を引き継ぐ人が暮らしています。今回はアイヌ民族の歴史や文化、アイヌに関する現在の雑学についてご紹介したいと思います。

アイヌ民族とは?現在への影響は?

アイヌ民族とは北海道、樺太、千島列島に周辺で暮らしていた先住民のことです。
アイヌ民族はアイヌ語という言葉を使い、狩猟で得た毛皮や海産物の交易を行って生計を立てていました。
アイヌ民族に関する雑学ではアイヌ民族のアイヌ語は、現在の北海道の地名の原形ともなっており、札幌はアイヌ語のサットポロ(乾燥した広大な地という意味)という言葉が変形したものと考えられています。
また現在の北海道には札幌以外にも、アイヌ語が語源と思われる地名が数多く残っています。

アイヌ民族の外見の特徴は?

アイヌ民族の外見の特徴は、顔の彫りが深く、手足が長い、体毛が濃いという特徴があるとされています。
アイヌ民族の起源は、縄文人(モンゴロイド)の中から弥生~古墳時代になると寒冷地で暮らしていけるようになった新しいモンゴロイドの種族が生まれて本州で勢力を広げ、それまでの縄文人の一部は北に追いやられて進化してアイヌ民族となり、また一部は南下して琉球民族となったと言われています。

そのため、元は同じ縄文人であるアイヌ民族と琉球民族は、文化や生活習慣にも似た部分があると言われています。
また雑学ではアイヌの人々には長寿であったと言われています。
アイヌ人の墓地の遺跡を調査した結果によると、65歳以上の人骨の出土率が同時代の和人(本州の日本人)よりも多く、虫歯もないことが分かっています。

アイヌ民族の歴史は?

アイヌ民族の祖先は縄文時代からいたとされ、文化的にアイヌ民族の地位が確立されたのは14世紀頃といわれています。
14世紀は日本では鎌倉時代の終わり~室町時代の始まりの時代です。
この頃のアイヌ民族の歴史として有名なものは「コシャマインの戦い」というアイヌ民族と和人の戦いです。

「コシャマインの戦い」は現在の函館の和人鍛冶屋とアイヌ人の男性が口論したことをきっかけにアイヌ民族と和人の間で大規模な争いに発展し、当時の渡島半島東部のアイヌ民族の首領であるコシャマインを中心にアイヌ民族が蜂起し、和人を大いに苦しめた戦いとなりました。
しかしアイヌ民族と和人の戦いはコシャマインが和人に騙されて射殺されたことで終結し、この戦争が松前藩の形成の元となったとされています。

アイヌ民族の文化は?

アイヌ民族には独特の文化や生活習慣があったことが遺跡調査などから発見されています。
アイヌ民族は結婚する前の年齢(12~16歳)に差しかかると体に入れ墨をするのが習慣となっており、入れ墨をしなければ他の人々から一人前の成人と見なされず、結婚することも許されなかったようです。
この入れ墨を入れる習慣はアイヌ民族の間で「針突き」と呼ばれており、琉球民族の間でも「ハズキ」、「ハジチ」と呼ばれる「針突き」の習慣がありました。