東京都の中央にあり、国分寺市や西東京市、立川市などと隣接する小平(こだいら)市。玉川上水やその分水である小川用水が流れ、住宅地や畑が広がる市内は、農村地域のようなのんびりとした雰囲気が漂います。今回ご紹介する「小平ふるさと村」は、そんな小平の成り立ちにふれることができる無料の郷土博物村です。開拓時代の住居を復元し、竹やぶや屋敷森も再現した村は、小規模ながら沢山の魅力がつまっています。この記事では、周辺にある「小平らしいお店」の情報と共に、小平ふるさと村の見どころをご紹介します!
「小平ふるさと村」はどんなところ?
3つのゾーンで、開拓時代~近代の頃の小平の地を再現
竹やぶの青々とした稈(かん)や葉がサラサラと音を立てて揺れ、隙間から茅麦藁(かやむぎわら)のぽってりとした屋根がのぞく。・・16世紀後半の小平を再現した小平ふるさと村の「開拓ゾーン」に降り立つと、農村地帯だった頃の小平にタイムスリップをしたかのようです。
小平ふるさと村には、江戸初期~中期の「開拓ゾーン」、江戸中期~後期の「農家ゾーン」、そして明治時代の「近代ゾーン」の3つがあり、それぞれに復元や移築された家屋や穀櫃(こくびつ)などの歴史的建造物が建っています。それらの建物内には当時の家財道具などが揃い、実際に室内に入ることもできます。
建物の周辺には当時の生活を支えた畑や水車、高垣、井戸なども復元され、小平ふるさと村の中は、現在は消えてしまった昔の小平が息を吹き返したかのような雰囲気です。
小平の特産品が買える!
皆さんは、青果販売のためのブルーベリー栽培が小平で始まったのをご存知でしょうか?ブルーベリーを特産品とする小平市にはブルーベリーを使ったパウンドケーキやクッキー、どら焼き、ロールケーキ、ジャムなどを販売するお店やカフェが点在していますが、ここ「小平ふるさと村」でも、管理棟にある売店で取り扱っています。
また、小平ふるさと村では、郷土料理である「糧(かて)うどん」の提供もあります。小平産の地粉で作った手打ちうどんを、糧(かて。季節の野菜)と一緒につゆに浸けていただく小平糧うどんは、コシがあり、スルッと通るのどごしの良さと小麦の豊かな味わいが絶品の郷土料理です。小平ふるさと村では決められた予定日のみ、一日限定50食(1食500円)で販売しています。
「小平ふるさと村」は、自然豊かな道・通称「自転車道路」が通る
多摩湖自転車歩行者道(通称「自転車道路」)は、西東京市から東村山市にある多摩湖をほぼ直線で繋いでいる21.9kmの道で、途中には花小金井駅や小平駅、萩山駅などがあります。周囲に暮らす人々は「サイクリングロード」や「自転車道路」などの呼び名で親しみ、近隣の小学校に通った人には、遠足で多摩湖までの長距離を歩かされて疲れた思い出のある場所です。
多摩湖自転車歩行者道は自転車と歩行者それぞれの専用道路が並行して通っていて、脇には季節折々に咲く草木が延々と生え、コゲラやシジュウカラ、メジロなどの野鳥が賑やかに飛び交う自然豊かな道です。小平ふるさと村はそんな長閑な自転車道路の脇にあり、小平駅と花小金井駅の間くらいに位置しています。
「小平ふるさと村」の見どころ
小規模ながら沢山の魅力がつまっている、小平ふるさと村。それでは、その魅力と見どころをご紹介します。
1. 開拓ゾーン(江戸初期~中期)
かつて、小平を含む周辺のエリアは、水が乏しい武蔵野の原野が広がっていた地でした。近郊を通る東山道や鎌倉街道など、古くからあった幹線道路を行き来する旅人は、飲水や集落のないこの一帯では非常に困難な思いをしていました。
そんな地に小川や道を通し、約360年前の明暦2年(1656年)に開拓され誕生した小川村は、新田村落として発展します。水はけが良く「逃げ水の里」とも呼ばれた一帯だったため水田が作れず、陸稲(畑で育てるお米)や麦、野菜を中心とした畑作が行われるようになりました。なお、小川村は、明治26年(1889年)に小平村となります。
ここ「開拓ゾーン」では、開拓時代にあった建物を移築または復元して展示しています。当時の小平の景観や暮らしの様子を垣間見ることができる、貴重で興味深いエリアです。
開拓当初の復元住居
茅麦藁の大きな屋根が足元まで伸び、外壁にもびっしりと藁(わら)が葺かれているこの建物は、開拓当初に建てられ農民が暮らしていた住居を復元したものです。推定で1655年~1657年頃のものと考えられています。
全国的にみてもこの頃の民家が残っているのは稀のようですが、小平で復元が可能になった理由は、この地域の開拓と開発の中心的な役割を担った名主の小川家に古文書として残っていた資料の中に、工法や材種、間取りなどの記録が詳しく残っていたためです。
ちなみにこの住居は2人用で、室内には細竹を編んだ床や籾殻(もみがら)などが敷かれ、その上に筵(むしろ)が敷いてあります。江戸初期の農家の多くはこのような造りの家で生活していたそうで、当時の人々の生活に思いを馳せてしばし佇みたくなる場所です。
畑と竹やぶ
前に紹介した「開拓当時の復元住居」の前には、小さな畑や竹やぶが広がっています。青々と葉を伸ばす苗が植えられた畑の脇には、肥溜めの蓋がかかり、堆肥床、案山子(かかし)なども再現されています。すげ笠を被って佇む「へのへのもへじ」顔の案山子は愛嬌があり、どこか懐かしさに溢れています。
畑の後ろには竹やぶがあり、その下を小川が流れています。今は街なかで見かけることが少なくなった竹ですが、春になると紅葉して葉が黄色くなり、やがて落葉することを知る人も少なくなりました。ここの竹やぶでは、春には鬱蒼と茂る竹やぶが緑と黄色のコントラストに染まる様子を間近で見ることができる、貴重な場所でもあります。
旧小川家住宅玄関棟
小平一帯の開拓と開発の中心的な役割を担った名主・小川家の玄関棟で、解体保存されていたものを移築し復元した建物です。
小川家に代々継承されてきたこの建物は、文化2年(1805年)に完成したことが棟札に記されています。当時、玄関棟は主屋とは別に建ち、廊下で繋がっていました。そして、内玄関や土蔵など、幾棟もあった他の建物も長い廊下で繋がっていたようです。このような屋敷構えは武家屋敷に似ていて、当時の小川家が一般的な名主宅に比べて格式が高く実力があることを示していると見ることができるそうです。現在この建物は、小平市有形文化財に指定されて大切に管理されています。