4月1日より『女子高生に殺されたい』が公開中だ。本作は古屋兎丸の同名コミックを原作としたサスペンス映画であり、そのタイトル通りの欲望を持つ男を主人公としている。

田中圭、“異常な願望”を持つ教師を演じる。『女子高生に殺されたい』開始5秒でわかるスゴさ
(画像=『女子SPA!』より引用)

©2022日活(以下、同じ)

 本作の最大の魅力と断言できるのは、その「女子高生に殺されたい」主人公を、田中圭が見事に演じ切っていることだ。ただ役柄にハマっているという言葉だけでは収まらない、「映画開始5秒で田中圭のすごさがわかる」こと、「田中圭が演じたからこそ良い意味で気持ちをぐちゃぐちゃにされる」衝撃も凄まじいものがあった。

大きなネタバレに触れない範囲で、それらの理由と、さらなる映画の魅力を記していこう。

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「絶対に女子高生に殺されてやる」という歪んだ信念

田中圭、“異常な願望”を持つ教師を演じる。『女子高生に殺されたい』開始5秒でわかるスゴさ
(画像=『女子SPA!』より引用)

タイトルで堂々と記されている、そして劇中で語られている通り、田中圭演じる主人公、日本史の教師である東山春人はオートアサシノフィリア(自己暗殺性愛=自身が殺される状況に興奮を覚える性的嗜好)であり、女子高生に殺されることを望んでいる。

 表向きは生徒からの人気も高く善良な教師に見える彼が、誰をターゲットにして、どのようにしてその目標を達成しようとするのか……? という疑問を解いていく過程がサスペンスになっているというわけだ。

 もちろん、大多数の人にとって女子高生に殺されたいという嗜好そのものは1ミリたりとも共感し得ないし、実行は道義的にも法律的にも許されるはずもない。

 だが、田中圭演じる彼は、その「異常性を自認」している。端的に言えば「女子高生に殺されたいなんて間違っているのはわかっているが、俺は絶対にやり遂げる」という、歪みまくりな「信念を持ってしまっている」ことが、ゾッとさせると共に、グイグイと物語を引っ張る牽引力にもなっているのだ。

映画開始5秒で田中圭のすごさがわかる理由

 その主人公の歪んだ信念が、劇中で明確に示される前……映画開始からたった5秒で、田中圭の俳優としてのすごさを思い知らされることになる。「カウンセリングと思われるビデオ映像」から始まるのだが、そこで田中圭演じる主人公は涙ながらに「自身の望み」を口にしようとするのだから。

 その映像は望みを言う前に、意図的にぶつ切りにされる(このビデオ映像の意味は後に判明する)。しかし、この映画のタイトルを知っている観客は、それが「女子高生に殺されたい」だとハッキリとわかっている。それだけを鑑みれば、感情移入や同調などできるはずがない……はずがないのだ。

 だが、この時の田中圭の表情はどうだろうか。これから口にしようとする望み、いや手前勝手な欲望が許されないとわかっているからこそ、溢れ出る激情を寸前のところで抑えているかのように、眉間に皺を寄せ、涙を浮かべている。それと同時に、「どうしても言わなければいけない」ような生真面目さ、はたまた不器用さ、もしくは絶望までもが垣間見えるのだ。