世の多くの人たちは新垣結衣に透明感を求めている
これまでの彼女であったら、八重のような負の要素満載の役をやらなかったのではないだろうか。例えば健気(けなげ)に頼朝を想い続けるような献身的な役だったのではないか。
そもそも彼女が注目された映画『恋空』(07年)は十代の純粋過ぎる恋を描いたもので、彼女の演じた役にはこれでもかという不幸が襲いかかるが恋が彼女を支えていく。実際にあったらとんでもなく苦しいことを常に彼女の生命力が透明に浄化してきた。
その理想の極地を演じきったといえるのが『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS 2016年 以下『逃げ恥』)である。就職や結婚に悩む世代の問題を明快に解決して幸せになっていく新垣演じるヒロインは癒やしだった。
(画像:『逃げるは恥だが役に立つ』公式サイトより)
ところが『逃げ恥』が大ヒットした後(あと)、同じ脚本家・野木亜紀子によるオリジナルドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ 2018年)に主演したとき、現代を生きる等身大の表現に挑んだら、彼女が会社で体験することがリアルでしんどいという声があり、世帯視聴率的にも苦戦した。
『逃げ恥』は社会的な問題を生々しく描かずに戯画化していたので受け入れられ『獣~』は問題にフォーカスし過ぎて敬遠された。『逃げ恥』スペシャルドラマ(21年)でコロナ禍とマタニティブルーなどを盛り込んだときはまたしても見たいのはそれじゃないという声があがっていた。
『獣~』や『逃げ恥スペシャル』で明確になったのは、世の多くの人たちは新垣結衣にいつもニコニコと明るく爽やかにいてほしいと思っていることである。くすみや濁りのない透明感を求めている。いやなことをそのまま受け入れずみごとに対処する役割を求めている。『恋空』以降ずっとくすみに負けない存在をずっと背負ってきたわけだ。
(画像:『獣になれない私たち』日本テレビ公式サイトより)
そのほうが人気を獲得できるのだからビジネスの点ではできるだけそこに寄り添いたいと思うだろうけれど、俳優をやりたいと思うのなら、ポッキーダンスの無邪気さや、『逃げ恥』ダンスの無垢さ以外にもいろいろな役がやりたいだろう。
黒ずんだ感情も見せるところに『獣~』のリベンジ
『鎌倉殿の13人』の八重は『獣~』以上にしんどい役だ。子供をなした男に捨てられて男はさっさと結婚して子供を作り、自身は身分の低い魅力を感じない男の元に嫁がされ頼朝と政子と娘の幸せそうな様子を見せつけられている。
家が大事だった時代、自分の意思など二の次で忍耐しないといけない。それでもプライドが高く悔しさをひた隠して政子に対抗し続ける。負けないところは新垣の持ち味なのだが、白く美しい肌の奥の、いろいろな色が混じって染まって黒ずんだ感情も見せるところに『獣~』のリベンジを感じる。
(C)NHK『鎌倉殿の13人』
むしろこういう役を演じることができるほうが俳優としては自由ではないだろうか。そういう役ばかりが続いたらまた、100%まっ白な役をやりたくなるかもしれないけれど。