新垣結衣だから我の強い八重像が緩和されている
(C)NHK『鎌倉殿の13人』
新垣が演じる八重という役、豪族の娘として凛としているといえば聞こえがいいが、言い方を変えれば我の強い人という印象。
父に無理やり結婚させられた夫・江間次郎(芹沢興人)への態度が酷すぎる。指一本触らせず下男のような扱いで心はずっと頼朝。こっそり訪ねてきた頼朝を夫が今いないと家に招き入れようとしたりする。新垣結衣が演じていなかったら鼻持ちならないキャラになるところだろう。そう、新垣結衣だから我の強い八重像が緩和されている。
なぜ、新垣だから許されるのか。これまでピュアでちょっとドジででも頑張り屋の清潔感あふれる役を演じてきた貯金があるからだ。
今こそ新垣結衣は自由の扉を開けかかっている
「リーガルハイ 2ndシーズン 完全版」TCエンタテインメント
代表作『リーガル・ハイ』シリーズ(フジテレビ)では『朝ドラヒロインのようだ』とからかわれる役を演じていた。セリフを書いた古沢良太は朝ドラヒロインにもいろいろなキャラがいることを知らない浅い認識による朝ドラヒロインという意味あいで書いたそうだ(拙著『みんなの朝ドラ』より)。
その浅い朝ドラヒロイン像――明るく元気にさわやか、ちょっとドジというような部分を新垣結衣の演じる役に人はなんとなく重ねてしまう。そのバイアスが八重の背負ったネガティブな部分にふわっとベールをかけぼやかしている。
新垣自身もそれを自覚しているからか、八重の勝ち気さや苦悶の感情を顔にはっきりは出さない。ほんのちょっぴり目元や口元を動かすのみにしている。当時の田舎の豪族とはいえそれなりに身分のある姫だからそうなのかもしれないが、いずれにしてもいまのところ澄まし顔をキープしている。そして、ここにこそ鶴瓶の言う「自由」がある。
抑制を要求されるような役はむしろ「不自由」ではないのか。いや、そうではない。今こそ新垣結衣は自由の扉を開けかかっている。