新潟県佐渡にある「賽(さい)の河原」は、海沿いに面した細い遊歩道の途中にある霊場です。数キロにわたる奇岩地帯の中にある霊場は、およそ300年ほど前から続く地域信仰の場となっています。

そもそも「賽の河原」って?

「賽の河原」という言葉、しばしば耳にしませんか?全国のいろんな所に賽の河原と名付けられた場所がありますし、冥土にあるとされる河原の名前なので、どこかで聞いたことがある、という人も多いはず。まずは一般的に知られている賽の河原についてご説明しましょう。

人が死後に行くとされる、三途の川。賽の河原はこの三途の川の河原で、特に幼くして死んだ子供が行く所と言われています。「子供たちが現世に残っているお父さんやお母さんのために小石を積み上げて塔を作ろうとしたところ、意地の悪い鬼がやってきて、積み上げた石を崩してしまいます。そこにお地蔵様が現れて、子供たちを救ったのでした」という言い伝えがあります。

【賽の河原】佐渡の聖なる信仰の場1.jpg
(画像=えいぶゆう/TossyPhoto 積み上げられた石、トリップノートより引用)

お地蔵様が登場するので仏教の教えのような感じがしますが、これは儒教の教えと融合したもの。儒教には親孝行の思想があるため、早くして亡くなって親に悲しい思いをさせてしまった罪をほろぼすために石を積み上げる・・・という伝承になったのでは?と考えられています。それに本来の仏教の考え方だと、魂の修行のための課題がクリアされると亡くなるという考えなので、亡くなったことが罰になる・・・という考え方だとしっくりこない感じがしますしね。

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(画像=えいぶゆう/TossyPhoto お地蔵様、トリップノートより引用)

「賽」には「むくいる」という意味があるので、このような伝承になったのではないかと思われていますが、実は外敵の侵入を「ふせぐ」、「ふさぐ」という意味もあり、土地の守り神のことを「賽の神」と言ったりします。賽の神が、先のお話ではお地蔵様に変化したのですね。また「法華経」に記されている「童子の戯れに沙(すな)を聚(あつ)めて仏塔を作る」から転化したのでは?とも考えられています。

このように、日本に「賽の河原」が伝わる際、いろいろな話が結びついて俗信となったわけです。ということで、むやみに恐れる必要はありませんが、各地の賽の河原は信仰の場でもあるので、敬いつつ足を運ぶようにしましょう。