しかし、実際には万博に来ていないから、万博の写真に永吉が写り込むことはありません。この女性も永吉の妄想だから、彼女も写真には写らない。考えてみれば一匹狼の個人ドライバーだった永吉に、万博イチの人気パビリオンのレストランに食材をルート配送するなんて仕事が回ってくるはずがない。「あんとき永吉さんおらんかったら、ホンマにどうなっとったか」なんてこの女の人が言うような、属人的な状況だったわけがない。
永吉は、架空の少年や架空の元ウエイトレスを妄想することはできても、万博の風景の中にいる自分を具体的に想像することだけは、どうしてもできなかった。だから、あの報道写真を見て、自分が万博に来ていなかったことを認めるしかなくなった。己の人生がウソで塗り固めたものだったことを、この瞬間に悟ったのです。
居酒屋「きよし」で語った「10歳の子どもを9時間もトラックに乗せるわけにはいかんと思ってな」という言葉も、いかにも苦しいものです。むしろ父と息子2人で9時間のトラック旅なんて、仲が良ければ楽しいことしかないはずだ。でも、永吉は10歳の聖人を万博に連れて行ってやることはできなかった。そんな仕事はなかったのだから。
万博公園ですべてを悟り、残り数日の関西での日々はなんとか取り繕ったものの、糸島に帰った永吉はふさぎ込むようになりました。自分が他人のために生きてきたと思い込んでいた人生が、すべて妄想だったことを知ったのです。周囲の家族も、そんな自分に気を使ってきただけだった。カネを使い果たしたとき、素直に謝っていれば、もっと家族と会えたのに。花のサッカーの応援にだって行けたかもしれない、あの子、サッカーをやってたなんてまったく知らなかった。俺は糸島に隔離され、幽閉されていたんだ。妻の手によって。それが彼女の最後に残された愛情だったとしても。
俺は、孤独だ──。
永吉が自ら命を絶つまで、そう時間はかかりませんでした。