3月25日(火)~30日(日)の期間、別府市竹細工伝統産業会館にて、大分県の別府竹細工伝統工芸士・中岩孝二さんが主催する、竹細工教室の作品展を開催!竹細工を初めて1カ月目の人から3年目の一期生まで、総勢20名による56点の作品を見ることができる。
別府竹細工のはじまりは、メゴ(茶碗かご)作りから
別府竹細工は、景行天皇が九州熊そ征伐の帰りに別府に立ち寄った際、お供の膳伴(台所方)が、良質の竹の多いことを発見して、メゴ(茶碗かご)を作ったことがはじまりと言い伝えられている。

飯かご
江戸時代に入ると、日本一の温泉地・別府の名が全国に広がり、各地から別府へ湯治客が集まるように。湯治客が滞在中に使用した飯かご、米あげざるといった竹製の台所用品が土産品として持ち帰られ、竹細工がたくさん作られたそうだ。
土産品の域を越えた、工芸品へと発展
明治35年には、竹工芸近代化のための技術者育成を目的とした別府浜脇両町学校組合立工業徒弟学校(現:大分県立大分工業高校の前身)を創立。徒弟学校には、将来性を見込んで全国から多くの竹職人が集まり、今日の優れた製造技術の蓄積、別府竹細工の礎を築き、別府の地場産業として定着していった。
そして別府竹細工は土産品の域を越え、高度な技術を集約した工芸品へと発展してきたのだ。
竹製品の需要が減少する危機も
昭和13年に、大分県立工業試験場別府工芸指導所が開所され、竹細工の技術を向上させるとともに、昭和14年には、大分県が、大分県傷い軍人職業再教育所(現:大分県立竹工芸訓練センターの前身)を設立。今日においても、日本で唯一の竹工芸の専門訓練校として、多くの技術者を輩出し続けている。
昭和25年、竹細工の更なる技術発展を図るため、別府市工芸研究所(現:別府市竹細工伝統産業会館の前身)を設立し、竹細工の試作研究や生産者への技術指導を実施。
これまで順調に発展を続けてきた別府竹細工だが、日本経済が高度成長期に突入した昭和30年代、安価なプラスチック製品の普及により、竹製品の需要減少の危機が訪れたという。
別府竹細工は高級竹製品へと転換
