ところが、このエピソードはじいじが突然、糸島から神戸に押し掛けてくるというスーパーアクティブなアクションからスタートしているんです。しかも、出勤前の朝っぱらに訪ねてきている。
これまで、この「突然誰かが訪ねて来る」というパターンは多用されていて、それ自体がおもしろいものではないのですが、ともあれ「行動力が旺盛な人物である」という印象を与えてきていたんですよね。というか、この突然の訪問という無礼千万な行動に対して「行動力が旺盛だ」というエクスキューズをほのめかすことで、どうにか視聴者を納得させようとしてきた節がある。
だから今回のじいじの来襲も「なんだか知らんが、相変わらず元気なジジイだ」という印象を与えていることは間違いない。
しかし実際にはもう弱り切っている。パターンの反転が行われているわけです。今までの「突然の来襲者」とのギャップを演出している。
それ自体はうまくやってると思うんですよ。「これが最期」と決めて、弱った体にムチを打って神戸までやってきた。どうしても伝えたいことがあって、強引にでも「みんなで太陽の塔を見にいこう」と提案する。それでも素直になれなくて「ガンになっても陰気な性格は変わらん」などという過度な暴言を吐いてしまう。年老いた父のはっきりと変わってしまった部分と、まったく変わらない部分がある。流れだけ追っていけば、胸が締め付けられるような物語になっているはずなんです。
なんだろう、この胸が締め付けられない感じは。どうして私たちの心の中の巨乳は、いつまでたってもバインバインのタユタユなのだろう。
ひとつはやっぱり、そもそも何やねんということなんですよね。じいじとパパの間に横たわる断絶の原因となった「大学に行くお金を勝手に使った」という因縁そのものが、非常にどうでもいいというか、ドラマの根幹に刺さってないんです。
「大学に行きたかった」と、パパの悔恨は常に過去形で語られます。いつまでそう思ってたの、この人? 今も思ってんの?