コロナの何が怖かったかって「死ぬ病気」だってことだったんですよね。海外じゃ人が死にすぎて火葬が間に合わないとか、埋葬できない遺体が路上に放置されているとか、そういうニュースが伝えられるたびに「これは普通の病気じゃない」「地球規模で大変なことが起こっている」という実感に打ち震えたんです。

 日本でも、病床が足りないとか救急車が来ないとかで、重症化して自宅で死んでいく高齢者がたくさんいたことを記憶しています。

 あの恐怖感を朝ドラで国民に再体験させる必要なんてあるわけないし、あのとき感じていた「死の匂い」なんて思い出したくもないんだけど、じゃあ今ここでNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』が描いているのは、いったい何なんだろうとは、どうしても思ってしまうよな。

 搬送されてくるのは常食対応の軽症患者ばかり。タラか、サケか、ふりかけはどうだ、それが問題だという。

 悩ましいのは、今週は特になんですけど、このコロナ期が描かれているドラマを当時の過酷な状況を脳内補完しながら見ればいいのか、あるいはこの程度のヌルい世界線のファンタジーとして見ればいいのか、作り手がどっちをやりたいのかがわかんないんですよ。

 わかんないけど、今日も放送されちゃってるからね。振り返りましょう。第113回です。

聖人、ザ・老害やな

「で、どないしはりましたん?」と、ヨネダにやってきた市役所の若ちゃんは聖人に尋ねます。

 ということは、聖人は市役所に電話をかけて若ちゃんを電話口に呼び出し、要件も告げずに店に呼びつけたということです。

 いるんだよな、こういうやつ。「人手、足らへんのですか?」って言葉では言うけど、その口ぶりとは裏腹に自分は多忙な市役所の人間を個人的に呼び出していいと思ってる。

 理髪店が営業を続けてもいいかどうか、もう年寄りだから市役所のホームページを調べるのも面倒だし、電話じゃまどろっこしいし、しゃーないやろ、そう思ってる。ニュースも新聞もろくに見てないから、必死にソーシャルディスタンスを維持しようとする若ちゃんに対しても被害者ムーブをかまし、相手に気を使わせる。完全に老害ですよ。