考えてみれば別に震災の話や栄養士の話を見たいと思っているわけではなくて、ドラマ側が「それをやる」って言うからには、こっちもちゃんと見るから「ちゃんとやれ」というだけの話なんですよね。だから、橋本環奈のスケジュールがどうだかなんてこっちは知ったこっちゃないけど、別にその話はもう一旦終わりならそれでいいんです。
阪神・淡路大震災から30年たった1月17日に合わせて、NHKの朝ドラで追悼をしたい。東日本大震災もあったから、阪神・淡路の被災者から見た東日本大震災がどんなものだったかを表現したい。そういう、いわゆる意義のようなものに縛られて無茶苦茶になってしまったドラマを見せられてきたわけだけれども、とりあえず今週からは自由なんです。NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』は、さまざまなノルマから解放されることになる。
んで、最初に手を付けたのが、これまで劇中で天衣無縫に振る舞い、縦横無尽に無双してきた「ギャル魂」という概念の解体と再構築ということなんでしょう。「ギャル魂」によってあらゆる問題を解決してきたドラマの中で、もう一度その「ギャル魂」とは何ぞや? と問い直してみる。その心意気はいいと思うんです。いつだって『おむすび』は、心意気だけは悪くないんだ。
でも作り手が思っているほど、視聴者には「ギャル魂」が伝わってないんですよね。誰も「ギャル魂が最高で無敵」と思ってない。むしろ、都合のいいときだけ「ギャル魂」とか言って適当に誤魔化してんじゃねーよ、と思ってる。
作り手が思い描いていた理想はたぶん、『おむすび』を見ている国民のみなさん、お父さんもお母さんもお兄ちゃんお姉ちゃんも、みんなが「私もギャルかも?」「俺ってギャルじゃん」なんて言い出してる、そんな明るくてポジティブな日本だったはずです。そういう朝ドラを見て、「今日も1日、あのギャルたちみたいに明るくポジティブに生きよう!」って思えるような、そんなドラマになりたかったんだと思う。失敗したな、残念でした。波乱に満ちた快作になるはずが、破綻に満ちた迷作になってしまった。破綻って、満ちることがあるんだね。初めて知ったよ。