◆小脳のパッケージ化が進めば、どんな趣味も体得できる
ヒトは、「一連の動作」をするとき、慣れないうちは大脳で考えて動作するが、何度も繰り返して熟練してくると、小脳にパッケージ化されて、ほぼ無意識のうちに自然に流れるように動けるようになる。
ちなみに、小脳は「無意識」を司る器官で、空間認知と身体制御を担当している。
たとえば、私たちは二足歩行をするとき、下半身にあるいくつもの関節の角度と骨盤の傾きを制御しつつ、床の滑り具合、靴や服の様子、道幅、向こうからやってきてすれ違う人の動き、それが知人か否かなどを感知しながら、無事に歩いているのだが、これをいちいち考えながらやっていたら(「右足の親指を強めに使って、左の小指で踏ん張って、骨盤の傾きは右へ少し」とかやってたら)、とうてい間に合わない。
これらを無意識にやってのけているのは小脳で、ヒトは8歳までに「歩行」にかんする脳の演算をパッケージ化して、小脳に搭載してあるのである。
習い事はすべからく、「大脳で考えながらやる」ことを「小脳のパッケージ」に変えていく行為である。たとえば、ゴルフも、習い始めは「スタンスはこう、クラブの握り方はああ、振り下ろし方はこう」とかやるわけだけど、熟達してくると「自然に立って、すっとクラブを振ったら、ボールがカ~ンと飛んで行った」みたいになる。小脳のパッケージ化が成功したってことだ。
語学もそう。最初は、思考しながら、外国語の文章を組み立てて話すわけだけど、反射的に一連の表現が浮かんでくるようになれば、もうこっちのもの。小脳のパッケージ化が始まったってことだ。
私は、この語学の「小脳パッケージ化」が、ほんっと苦手でどうにもならない(汗)。まぁ、だからこそ、いつまでも「習う」を楽しめるってわけだけど。
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