84歳だから不思議はないが、以前ここでも書いたが、かつて周防は私に、「芸能プロなんて一代限りだよ。子どもにやらせる気はない」といっていた。
だが、文春によれば、昨年10月末に、食事中に呂律が回らなくなり、救急車で病院に運ばれたという。軽い脳梗塞だったというが、年も年だからと12月に周防がバーニングの代表取締役から代表権のない相談役会長へと“お飾り”になったというのである。
新社長には長男の周防彰吾(49)が就いたそうだ。
周防は元衆院議員の浜田幸一と演歌歌手の北島三郎の運転手をしていたといわれる。芸能界で成り上がってきた経歴には不透明なところが多いが、小さなバーニングという芸能事務所を作り、芸能界全体へと影響力を拡大していった。
所属タレントはそれほど多くはないが、ジャニーズ事務所をはじめ、周防を頼りにしてきた芸能プロは数多い。
TBSのレコード大賞やNHKの紅白にも「周防枠」というのがあり、影響下の歌手たちを押し込んでいたといわれる。
私が周防と付き合い始めた頃、内田有紀が新人でバーニングに入ってきた。引き合わされ、「これからよろしく頼みます」といわれた。
週刊現代の編集長のときに開いたパーティーに藤あや子を出すといい出した。私は、そういうパーティーじゃないからと辞退したのだが、当日、藤の艶やかな姿が会場を彩った。
芸能界のドンといわれたが、素顔は、酒は飲まないが話好きで、大変なグルメだった。
ゴルフが好きで、芸能人たちが集まる自分のコンペも主催していた。一度、「ゴルフをやりませんか」と聞いたら、「私はヘタな人とは回らない」とにべもなく断られてしまった。
今のうちに周防の聞書きをしておいたほうがいい。戦後の芸能界の裏の裏まで知り尽くした周防の回顧録はベストセラー間違いなしだ。
幻冬舎あたりが狙っているのだろうがな。
芸能界もメリー喜多川が去り、周防がいなくなれば、違った世界になっていくのだろう。私のような古い人間には一抹の寂しさがある。