多くの日本人が、検察のアホが、無罪がほとんど決まっている袴田巌の再審公判で、有罪を立証する方針を決めてしまった。袴田は87歳。長々と再審公判をやっていたら残り少ない寿命が危うい。東京高裁が「証拠が疑わしい。捜査機関が捏造した可能性がある」とまで断を下したのだから、引き下がるべきなのになぜ? また恥を晒したいのか。
それを聞いた袴田の姉のひで子(90)の言葉がいい。「検察だから、とんでもないことをすると思っていました」「57年も闘ってきたんですよ。2~3年長くなったってどうってことない」
ジャーナリストの江川紹子は朝日新聞デジタル(7月10日 13時27分)にこう書いた。「『検察の理念』は死んだ。残念だが、そう言わざるをえない。
『理念』は、村木厚子さんの冤罪事件で大阪地検特捜部の証拠改ざんが発覚し、検察に対する国民の信頼が地に落ちた時に、検察自ら策定したものだ。そこには、こう記されている。
〈あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは、事案の真相に見合った、国民の良識にかなう、相応の処分、相応の科刑の実現である。〉
そのために、必要なこととして次のような記載もある。
〈自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくことをもおそれない胆力が必要である〉
村木事件は2010年である。担当検察官が証拠を改ざんしていた事実が明らかになり、検察の威信は地に落ち、いまだに回復どころか、さらに悪くなっていっているようだ。「理念」などというお題目をどんなに唱えても、内部は腐りきったままである。検察ばかりではない。警察、中でも公安警察が冤罪を作り上げ、挙句の果てに無罪の人間を死に至らしめたという“事件”が起きていたのである。
この「大川原化工機冤罪事件」は多少メディアで報じられはしたが、その詳細については私もよく知らなかった。
今週は、サンデー毎日で青木理が取り上げ、新潮も報じている。青木のレポートを中心に、この事件を追ってみたい。詳しく知りたい方は青木著『カルト権力』(河出書房新社)をお読みいただきたい。
横浜市都筑区に本社を置く、大川原化工機が外為法違反容疑で警視庁公安部の捜査が入ったのは2020年3月だった。主力製品は液体や液体/個体の混合物を霧状に噴射し、熱風を当てて粉末に加工するスプレードライヤー=噴霧乾燥機で、用途はインスタント食品や医療品、さらにはIT関連機器製造に必要なセラミック加工など広いという。
従業員は90人程度で年商も約30億円だから中小企業だが、噴霧乾燥機分野でのシェアは7割もあるという。だがそんな小さな企業にあらぬ疑いをかけ、全く事実がないのに、公安部は事件を“捏造”したのである。
社長の大川原正明(当時71歳)、海外営業担当の島田順司(67歳)、当時は顧問になっていたが、技術者として製品開発を担ってきた相嶋静夫(71歳)の3人が逮捕された。
3人してみれば全く身に覚えがなく容疑を否認したが、取調べは苛烈を極めた。当局の任意の聴取に応じた女性社員は、窓のない原宿署の取調室で、平均で4~5時間、長いときは9時間も聴取され、「言ってもいないことを調書に書かれ、こちらが“直してください”と求めてもなかなか応じてくれない。その繰り返しです。しかも“ほかの人たちは事件を認めている”と脅してくるのです。長時間の聴取を終えたある日、疲れ果てて、思わず地下鉄のホームで身を投げようとしてしまって」(女性社員=新潮)
大川原と島田は弁護士から何度も保釈申請が出されたが、ようやく認められたのは逮捕から330日以上経ってからだった。逮捕から約半年後の2000年9月、相嶋は極度の貧血になり、拘置所の診療所で輸血を受けなくてはいけなくなった。だが症状はさらに悪化し、内視鏡検査の結果、悪性の胃がんだと診断された。当然弁護団は、保釈申請をしたが、驚くことに検察はそれに抵抗し、東京地裁も請求を棄却してしまったのだ。
弁護団はやむなく、勾留の一時執行停止を求め、病院に搬送されたのは11月6日。だが、手術どころか抗がん剤治療にも耐えられないほど衰弱し、翌年の2月7日に息を引き取った。 青木は「もはやこれは国家による殺人に等しいのではないか」と憤るが、私もそう思う。
話は前後したが、公安部の逮捕を受け、東京地検は起訴に踏み切ったが、「初公判期日に指定された21年8月3日のわずか4日前に地検が起訴を突如取り消し、自ら事件の幕を強引に降ろしてしまった」(青木)のである。
検察が一度踏み切った起訴を取り消すのは異例であり、ましてや初公判の直前に取り消すなど異例中の異例であること間違いない。大川原と島田、相嶋の遺族の憤りは強く、国と東京都を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。
驚くべき発言はその裁判の証人尋問でなされたのだ。原告側の代理人弁護士が「公安部が事件をでっちあげたのではないですか」と、証人として出廷した警視庁公安部の現職捜査員に尋ねると、こう断言したのである。
「まあ、捏造ですね」
さらに問うと、
「捜査幹部の個人的な欲でこうなってしまった」
――欲とは何か?
「客観的な事実がないのに、こうなりたいと思った、それ以外に考えられない」
――どうすれば防ぐことができたか。
「幹部が捏造しても、さらに上の監督者がいたわけで、その責任を自覚していれば防げた」
青木によれば、「いくら公安警察が無茶な捜査に突き進んでも、検察官がストップをかければ起訴することなどできはしない」のだが、それさえできなかった。
警視庁公安部の現職捜査員が「捏造」だと認めているのだから、その奴らを処罰することが出来ないのか。だが、その件を扱った女性検事は、裁判の証人として出廷し、代理人弁護士が、
「あなたの誤った判断で長期拘留を強いられ、1人は命まで失った。そのことについて謝罪するつもりはありませんか」
そう問われたが、その女性検事はためらいもなく、
「起訴当時の判断を間違っているとは思っていないので、謝罪する気持ちなどありません」
そう答えた。
こういう人間たちが、自分たちの思惑で事件をでっちあげ、冤罪を作り上げていく。空恐ろしくて寒気がする。こうした「事実」をメディアはもっと伝え、国民は実態を知るべきだ。きゃつらは自分たちの欲望で事件を捏造し、人を殺してもなんと思わない。そういう国に我々は住んでいるということだ。
これでは、ロシアや中国と変わるところはないではないか。メディアは口を閉ざしたまま、気が付けば中国、ロシアを通り越して北朝鮮と同じになっていた。そう思わない理由がどこにあるのだろう。