野田 インターネットでバズったところで、芸能界のビジネスとしてどこまで成立するのかという話ですね。個人が上手にSNSをお使いになって撮影会を開けば、ある程度、簡単にお金にもなるでしょう。しかし、僕自身は「“グラビアアイドル”というカテゴリは芸能界に存在しない。あくまでグラビアは訓練の場で入り口のひとつでしかあり得ない」と思っています。
――でも、タレント事務所にとっては難しい時代ですね。
野田 難しすぎます。単に水着グラビアを漫然とやって「楽しい」と満足していないで、5〜10年先を見据えて、次のステップを常に本人も事務所も考えないといけません。
――傘寿間近の野田さんですが、これだけのキャリアがありながら、現在も一貫してタレントの現場に同行されています。これだけ若い現場スタッフともフラットに接している人もまずいないと思います。
野田 まぁ、いないでしょうね(笑)。でも、僕は現場に必ず行きますよ。自分が俳優になりたくて入ってきた業界ですし、僕はこれしか仕事を知らないので(笑)。もはや、仕事と思うよりも、現場に身を置いておくことが好きなんです。
――新体制に移行した今でも、野田さんが寵愛している若手俳優の矢崎希菜さんの現場マネージャーは続けているんですか?
野田 そうですね。自分のキャリアの終盤に正統派をやりたいと思いました。矢崎とは出会って6〜7年になりますが、コロナ禍で腰を折られちゃったので、また改めて再始動という感じです。今、彼女には「成田屋十八番の『外郎売』をきちんと覚えれば、滑舌や表現力も自然と培われるはずだ」と言って、日本舞踊と殺陣をやらせています。子役出身でビジュアルもいいし、まだまだこれからの23歳ですからね。ちょっと、時間はかかるかもしれないですが、これからが楽しみな俳優ですよ。
(取材・構成=伊藤凌)
野田義治(のだ・よしはる)
1946年生まれ、広島県出身。俳優を目指して18歳で上京。その後、渡辺プロダクションにスカウトされ、マネージャーとして活躍。1980年にイエローキャブを設立し、多くのタレントを育てた。2004年にイエローキャブを離れ、芸能事務所サンズエンタテインメントの代表取締役に就任。現在のサンズエンタテインメントは野田氏がプロデューサーとして仕事をする会社に。