こういうところで、私たちは「そんなわけねーだろ、バーカ!」と感じるわけです。ほんじゃ、横のおじさんの「茨木は90人でいい」という発言はなんだったのよ。
NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第69回、振り返りましょう。
その1時間をくれよ
そうして「翔也が野球部を連れてきた」ことに事実関係以上の価値をつけておきながら、そのプロセスを語ることをしないのも、また『おむすび』らしさです。
ドラマそのものが「翔也、めたくそがんばった!」と言いたいはずなのに、そのがんばりを見せない。
肩を壊して野球をやめた翔也という人にとって、練習中の野球部に「自分の仕事を手伝ってくれ」と頭を下げに行くのは、屈辱であるはずです。
本当ならその練習の輪の中心で汗をかきながら白球を追いかけていたはずなのに、今はスーツ姿で頭を下げて回っている。社会人野球選手として責任を果たせなかった後悔もあれば、野球を続けている彼らへの羨望もある。そういう葛藤をかなぐり捨てて、今やるべき仕事のために、彼らに頭を下げる。
ユニフォームの集団を前に、スーツ姿で練習に割り込むとき、翔也はどんな顔をしていただろう。なんと声をかけたのだろう。野球部の基本は声出しだもんな。ちゃんと大きな声を出せたのかな。
高校時代からずっとバッテリーを組んで、夢を語り合ってきた幸太郎。高1で140km/hを超えるストレートを投げていた翔也の球を初めて受けたときの衝撃は、今でも忘れられないはずです。
こいつとなら、甲子園に行ける。そう確信したに違いありません。
最後の県大会決勝、なんであそこでタイムをかけてやれなかったんだろう。あいつのスタミナが切れていたことは、受けている俺がいちばんわかっていた。腕をプラプラさせるクセも出ていた。一度間を取ってマウンドに行って、ひと声かけるべきだった。そんな後悔が、翔也と同じ星河電器野球部への入社につながったのでしょう。