彼を真のジャーナリストなどと持ち上げるメディアもあるが、それは初期の政治部記者の頃のナベツネであって、務台光雄に引き上げられる前から、社論を自分の思うがままにして、政治の内部に入り込み、程度の低い政治屋どもを操ってきたのだ。

 私はナベツネの盟友だった氏家斉一郎元日本テレビ会長(故人)と親しくしてもらっていたが、彼から、ナベツネと二人で、次の総理を誰にするかなどの謀議を赤坂の料亭で有力政治家たちと密談していた話を随分聞いた。

 それがナベツネと氏家の最大の「娯楽」だったのだ。

 そういう意味で、ナベツネという人間をもう一度再評価するべきであるとは思っている。

 文春で『渡邉恒雄メディアと権力』(講談社)を書いた魚住昭が語っている言葉が、ナベツネの正体である。

「世の中を自分の思う方向に動かすためには力が必要なんだ。幸か不幸か俺には一千万部がある。総理だって動かせる。こんな嬉しいことはないわね」

 超ワンマンだったナベツネ亡き後、部数も半減してしまった読売新聞をどう立て直すのか、山口寿一社長に課せられた課題は重大だし、それができる器だとは、文春を読んでもよくわからない。

 山口の掲げる新規事業が不動産業というのも脳がないといわざるを得ない。今や新聞が不動産収入で細々食いつないでいることは周知の事実である。

 だが、新聞の部数減が止まらない以上、焼け石に水となることは目に見えている。

 独自の株価指数「読売株価指数」を提供したとしても、日経から客を奪うことなどできないはずだ。

 山口が文春に語っている改革は、新聞をどうするということではない。もはや新聞はどうにもならない、そう思っているのではないか。

 もう数年たって、ナベツネの死が読売新聞の凋落に拍車をかけたといわれるのだろう。

 お次はFLASHから。

 私も自動車を持っていた時代があったが、一番心配だったのは、万が一事故を起こしてしまった時、損害保険会社は親身になって相談に乗ってくれるだろうかということだった。