そして、そもそもなぜ裁判を起こしたか。自分の考えからすると「これはアカン」と感じる報道への憤りというか、正義感というか、そういうものが色濃く昔からあったんです。ほかの多くのタレントさんよりもそこの熱は高かったと思いますし「これはなんとかしないといけない」という思いも強かった。そんな中での今回のことだったので、これは訴えるしかないとすぐに決めました。

 裁判をすると発表した頃から「会見はしないのか」という声を聞きました。裁判が開かれている最中は法廷内で互いに言うべきことをぶつけているのに、その外でアレコレしゃべったら裁判の意味がなくなってしまう。

 次は訴えを取り下げた段階で「会見を」という声が聞こえてはきました。ただ、先ほど申し上げたとおり、文春側と話し合いで決着がついたことなので、僕一人が公の場で話すわけにはいかないし、こちらが話せる領域は決まっている。となると、結局聞く側も、こちらも、お互いにフラストレーションばかりがたまる場になるんじゃないか。

 伝えるべきことを伝える。それが純粋に成立しないというか、結果的に他の味も出てしまう。そう思ったので周りとも話した上で、自分の言葉を待ってくれている人たちに一番伝わるであろうやり方を選ぼう。そう考えたのが今回の取材だったんです」

 松本は法廷で証言するといっていた女性2人に対して、「性的行為の強制性の有無を直接に示す物的証拠はない」といっているだけだ。物的証拠はなくても強制性交はあったのか、これまでどれくらいの女性たちと性行為があったのか、結婚して子供までいるのに多くの女性たちとSEXをした理由は。記者たちが聞きたいことはなんぼでもある。あんたの禊ぎはまだ済んでないのだから。

 お次はナベツネが亡くなったことへの文春の「追悼記事」。前回も書いたが、渡辺恒雄という人間は読売新聞を私物化し、それを背景に政治に関与し、キングメーカーのように振る舞った俗人である。