その少し後に、吉本印天然素材が人気になるんだけど、たまたま僕らは大阪の番組(読売テレビの『怒涛のくるくるシアター』および『電動くるくる大作戦』)で雨上がり決死隊、FUJIWARA、バッファロー吾郎と一緒にやってたんですよ。

やっぱりそこでもフリートークじゃ敵わないと思ったから、「関西とは違う、東京の感じを出さないと」っていうのはありました。ただ、ネタは大阪でも意外とウケてたし、僕個人もドラマに出始めてる頃だったから、そこまで張り合う感じでもなかったですね。

――“東京のお笑い”という意味で言うと、テンションは「方言ラップ」のネタを披露するのも早かったと思います。

田口:替え歌とかではなく、リズムが聞こえるような音ネタ。それでいて、「この言葉のチョイスだと面白いよね」って流れで作ってたから、奇しくも『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)を先取りするようなネタではありました。

『ボキャブラ』からもオファーがきてたんですけど、何となく「それはやめようぜ」って感じだったんですよね。そしたら、人気が爆発していったから「やっときゃ良かったね」っていう(笑)。

僕らと同じように断ったさまぁ~ずも、『大石恵三』(フジテレビ系)が終わってもう1回売れるまでにちょっと時間が掛かってるじゃないですか。だけど、うまい具合に“東京のダラダラした感じの芸風”とか、三村(マサカズ)の「〇〇かよ!」ってツッコミがハマっていきましたよね。

◆60歳を迎える前にやっておこう

田口浩正さん
――1993年にコンビでの活動を休止。今年に入って復活しようと思ったきっかけは?

田口:もともとケンカ別れでもないし、解散したわけでもないんです。僕が芝居のほうにハマっていって、コンビの間でもいろんなことがあって、「1回、個人でやっていこうか」みたいな話し合いで決まったことで、活動休止中も交流はありましたから。

そんな中、5年前に「30周年で1回やろっか」となって劇場まで押さえたんですけど、新型コロナの影響で1回ライブが流れたんです。それからしばらくして、2人で話してるときに数字にこだわる相方が「35周年でやろうよ」と言い始めたんだと思います。