◆出会いはショーパブのオーディション
――小浦さんと最初に出会ったのは、六本木のショーパブだったんですよね。
田口:僕は劇団東京乾電池の研究生を卒業した後、六本木の「ランフィニ レヴュー倶楽部」ってショーパブのキャストオーディションを受けに行ったんですよ。もともと唐沢(寿明)さんとかTRFのCHIHARUさんとかが踊っていたレヴューショーをやってるようなお店なんですけど、同時にイロモノ枠も募集してたからそこに入りたいと思って。
そのオーディションで偶然居合わせたのが相方の小浦。2人とも受かったんですけど、タイプはまったく違いました。向こうはダンスの専門学校を出てるから、踊れるしカッコいいしで女の子からキャーキャー言われるキャラで僕はお笑い担当。ただ、福岡出身で同い年だったから、何となくものの見方とか感じ方が似てて気が合ったんです。
当時の僕は「とにかく客前に立ちたい」って気持ちが強かったので、「相方にいいな」と思ってこっちから小浦を誘う形でコンビを組みました。それから、ショートコントの間に指を鳴らしながらザ・コーデッツの「ロリポップ」を歌ってつなげるネタを、そのショーパブでやり始めたんですよね。
――1989年にコンビを組んで、すぐに「ロリポップ」のネタを披露していたんですね。
田口:その後、今の事務所から声が掛かってすぐホリプロライブにも出られるようになったし、コント赤信号・渡辺正行さんが主催する「ラ・ママ新人コント大会」でもゴングショーじゃなくて即1本ネタでやらせてもらえたんです。
そのまま深夜番組とかにもちょこちょこ出演するようになって、同時に僕は21歳のときに周防正行監督の『ファンシイダンス』(大映)で映画デビューしてるから、とんとん拍子のスタートでした。
◆あの当時はみんなライバルって感じ
――同じ事務所では、さまぁ~ず(当時は「バカルディ」)が同期なんですよね。