田口:役者としての所属は僕のほうが早いんですけど、芸人コンビで言うとほぼ同期ですね。向こうは東京の下町の子、僕らは福岡の田舎者だけど、同じ昭和42年生まれなのでやっぱ仲良くなって。タイプは違ったけど、2組で合同ライブをやったり、一緒にネタを作ったりしたこともありましたね。
当時、ホリプロでお笑いやってる人間たちは、今はもうない事務所の5階の稽古場に週1回ネタ見せに行かなきゃいけなかったんです。だから、みんなそこに集まってネタ見せして、毎月1回のライブに臨んでました。そんなサイクルが2年ぐらい続いたのかな。
――若手の勝ち抜きお笑い番組『LIVE 笑 ME!』(日本テレビ系)では目立つ存在だったと思います。爆笑問題、ホンジャマカ、SET隊(岸谷五朗・寺脇康文・山田幸伸による3人組)など、そうそうたるメンバーが出ていますが、どんな心境で番組に臨んでいたのでしょうか?
田口:今の芸人さんって、みんな仲が良くて徒党を組んで番組を盛り上げるじゃないですか。あの当時はもうみんなライバルって感じ。楽屋でも会話しないし、みんな「芸人としてどっかで破綻してろ」みたいな感性で生きてたからギスギスしてました。シティボーイズ寄りの“東京のお笑い”って流れもあって、演劇チックなものとか無表情で演じるシュールっぽいものが流行ってたんです。だから、東京の芸人たちはみんな「関西とは違うよ」みたいなネタをやってました。
当時は、僕自身も太ったキャラの割にバカになり切れないというか、「一応、俺ネタ作ってるから」みたいな、東京のお笑いチックな部分があったんですよね。そんなことどうでもいいだろって今の年齢になって思うんですけど(笑)。
◆関西勢に「フリートークじゃ敵わない」
――1990年前後は、東京を拠点に活動し始めたダウンタウンの影響も大きそうですね。
田口:デカかったですね。ダウンタウンさんが上陸してきて、ブワーッとみんな撤退していくみたいな。俺ら東京の芸人は「自分が思ってることをどう面白く伝えるか」っていう論理的な素地がないから、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)のフリートークが始まったときに「勝てねぇ」ってみんな思ったんじゃないかな。