中盤戦ともいえる第5話に突入する『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』。男たちは、命をかけ、ある情報を奪い合う。なぜ、情報ごときにそんな価値があるのか? その答えも作品内で語られていくことになるが――『インフォーマ』の生みの親である作家の沖田臥竜氏は、なぜ、姿も形もない「情報」という厄介なものを物語の中心にすえようと思ったのか。沖田氏が考える「情報」の本質とは? 『インフォーマ』の副読本ともいえる書き下ろしコラム。
寒い冬の夜に『インフォーマ』で胸を熱く!
ネフリの極悪女王、なにあれ。開始30分でもう泣けるやん……。
失礼。冒頭から全然、関係なかった。
めっきりと寒くなったが、『インフォーマ』を観て、胸を熱くしていただけているだろうか。自分にとっても、振り返ると、今年は熱い夏だった。10代の頃、見るものすべてが輝いていた夏のようだった。
本当に三島は、最後まで生き残ってくれるのだろうかと毎週ドキドキしてくれている諸君。心配するな。オレもドキドキしている。ただ言えることは、今夜の『インフォーマ』もすげえ!ということである。
『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』第5話の幕が上がる前に、この作品の重要な題材である「情報」というものの本質を少し解説しよう。よくあるだろう。「これを読めば、きっとあなたもインフォーマ」……みたいなヤツだ…。
情報というものは、あくまで先手を突くものであり、決め手になるものではない。ましてや、それを手にして悦に入るものでもない。
同じネタだったとしても、使い方を間違えば凶器にもなるだろうし、不発に終わったり、自爆することもあるだろう。そして情報というものは、常に生きている。なぜだかわかるだろうか。情報は、人間が生み出しているからだ。
そして、情報に価値をつけているのが人間であって、その情報に一喜一憂してしまうのもまた人間なのである。
もしもだ。それを意図的にコントロールできる存在がいればどうなるだろうか。私は思う。あらゆるものに対して、主導権を握り続けることができると。木原慶次郎もそう考えたのではないだろうか。