全斗煥と盧泰愚は虐殺の罪を問われてそれぞれ死刑・懲役刑を言い渡され(後に特別赦免)、軍による虐殺を司法が認めたことで、光州の犠牲は無駄ではなかったことが証明された。2011年には、事件の関連史料がユネスコの世界記憶遺産に登録され、犠牲者・遺族への補償や行方不明者の捜索は今もなお続けられている。

光州だけでデモが激化した背景にある“差別感情”

 以上が事件の全体像だが、そもそも当時各地でデモが起こっていたにもかかわらず、なぜ光州だけがこのような事態に陥ったのだろうか。その背景には、朴正煕政権時代に作られた根強い「地域差別」が存在している。

 1963年以来続いていた軍事独裁政権だったが、70年代前半、彼には手ごわい政敵がいた。金大中(キム・デジュン)である。軍事独裁打倒の先頭に立ち、国民からの熱い支持を受けていた金に対抗するため、朴は金をアカに仕立て上げ、金の出身地であった全羅道(光州を含む地方)の連中もアカだという間違った認識を広めていった。

 「全羅道出身者とは付き合うな」という差別意識は国全体に浸透し、テレビドラマに登場する汚れ役は、多くが全羅道の方言をしゃべっていたものだ。全もまたこの地域差別を利用し、アカたちの反乱を制圧した自分こそが大統領にふさわしいのだと見せつけようとした。

 光州事件は、政府による統制だけではなく、光州なら起こってもおかしくないという、外側の人々の「やっぱりね!」という誤った認識・偏見が、光州をスケープゴートに仕立ててしまったといえる。

映画『タクシー運転手 ~約束は海を越えて』にまつわる後日談

 最後に、映画にまつわる後日談を紹介して終わりにしよう。

 ピーターのモデルとなったドイツ人記者ヒンツペーター氏は光州事件を世界に知らしめたことを評価され、2003年に韓国の権威ある言論賞を受賞、その時のスピーチでタクシー運転手キム・サボク氏に言及したことが映画製作のきっかけになったことはよく知られている。